阿波の郷に偉大な人物と言われる。「幼少期」18歳〜20歳 出家し名を【無空】と改め、やがて大学を去った。そのころある僧から求聞持の法を授けられ、山岳修行に身を投じた。 そして〈阿波の箸蔵山〜矢筈山〜白滝山〉の山岳を回られ、近く の集落で数日にて休憩され村人達の手厚い接待で体調が回復された説があり、また御返しに〈無空〉【弘法大師】が立寄って村人達に「農作改良や畜養」なども教えたと言われる。 農民達は喜び【弘法大師様】御礼に【藁草履】を差上げたと言われる説があり〈無空〉は長老に地名を付けたいと「下喜来・上喜来・葛城ヶ丸」などに結びっけ、来歴を【家宝一つ】語る地名の由来について述べる伝説の高僧などに結びつけたと伝えられている。出家の名を法名〈無空〉の時に山岳修行の道標に{果実}を 植えたとの由来がある。後に「土佐の室戸岬〜石鎚山」等で厳しい修行を重ね20歳の時に和泉槙尾山寺で得度,出家し名を【如空】後に【教海】〜【空海】に改め苦修練行の後、都へ出て 〈空海の諡号〉平安時代921年(皇紀1581)延喜21年10月27日 〈醍醐天皇〉から【弘法大師】の諡号が贈られる〈弘法利生〉の業績から名付けられたと言われる。
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