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題名:鑑賞 7)  名前:やねうらねこ 2010/02/08(月) 17:43 No.4148  HomePage

7)モーニングコールのようにみどりごは「みんみみんみ」とわが耳を狩る

 朝、まだ寝ているところへみどりごが這ってきて、かまってほしいと…わたしの耳をつついているのでしょうか。「みんみみんみ」がとてもかわいいですね。
 寝ているところへ乗っかってこられてはたまりませんが、まぁ、それもいたしかたなし…という感じですね。

 補足です。結句の「耳を狩る」という言い方が個性的です。猫が前足でひっかけにいくような仕草、あるいはカマキリが鎌をふるような仕草がイメージされますね。

  
 

題名:Re: 鑑賞 7)  名前: 2010/02/09(火) 14:58 No.4173 

7)モーニングコールのようにみどりごは「みんみみんみ」とわが耳を狩る

やねうらねこさんが書かれたように、あいらしい歌です。
ま行の連なりが、喃語のようです。
「狩る」は面白い表現ですけれど、この歌の場合には少し強くて、合わない気がしますが、如何でしょうか。





題名:鑑賞16)  名前: 2010/02/06(土) 23:12 No.4131 

16)日溜りに四肢あそばする昼つ方傍辺にたましひ解き放ちつつ

窓越しに暖かな陽がさし込む冬の昼。日ごろの心身の辛さを
忘れて、ひととき魂までも解放するように手足を存分にのばす
作者さまでしょうか。そばには家族がいたのでしょうか、それともひとりで。飾りのないいいお歌ですね。

 「あそばする」に、高貴なお方が〜〜あそばす、のような
感じをうけてしまったのですが(わたしが変でしょうか)、
「四肢をのばせる」とかではだめだったのでしょうか?
また、作者さまの意だと思われる「遊ぶ」の漢字を用いる、
というのはどうでしょう?

  
 

題名:Re: 鑑賞16)  名前:くも 2010/02/07(日) 06:14 No.4132 

16)日溜りに四肢あそばする昼つ方傍辺にたましひ解き放ちつつ

脳と身体とはべつものであり、
元来「脳」は他の身体の保全を考慮しないんですね。
「脳」が美意識を判断すれば、
身体がどんなに傷つこうとも、ピアスをあけたり、
地べたにしゃがむこともするわけです。

この歌では、「脳」の命令というより、
微弱な身体の信号をしっかりと受けての身体運用が
なされているので、そういう意味で
気持ちのいい作品となっているとおもいます。

ただ「日溜りに」とあり「傍辺に」とあり、
この「に」が二度現れるのがやや気になるところです。
「傍辺に」は、ちがう言い方があったように
おもえます。いかがでしょう。


  
 

題名:Re: 鑑賞16)  名前:MEG 2010/02/07(日) 09:04 No.4134 

緊張しているとき体は自然に強張るし、反対に体がのびのびとしているときは心ものびのびします。
そんな誰にでも共感できる感覚を気持ちよく詠われていると思います。

ただ身も心も開放感にひたっている歌にしては一首のなかに漢字(または熟語)が多くて少し窮屈な印象を受けました。
また「昼つ方」がなくとも「日溜り」だけで充分なように思います。

またこの歌では「たましひ」よりも「四肢」のほうが目立っているのでこのふたつの順番を替えてもいいかもしれません。

  
 

題名:Re: 鑑賞16)  名前:ゆるら 2010/02/07(日) 16:07 No.4138 

16)日溜りに四肢あそばする昼つ方傍辺にたましひ解き放ちつつ
優待離脱という状況でしょうか。たましいが解き放たれたときの心地よさが伝わってきます。しかし、くもさんがおっしゃる重複もそうですが、MEGさんがおっしゃる、「昼つ方」と「日溜り」の重複も気になります。敢えて、「昼つ方」と限定する必然性もなさそうに思います。

  
 

題名:Re: 鑑賞16)  名前: 2010/02/09(火) 14:54 No.4172 

16)日溜りに四肢あそばする昼つ方傍辺にたましひ解き放ちつつ

情景はよく立ち上がり、共感できる歌です。
「傍辺」が読めません。「かたわら」で良いのでしょうか?
また「傍辺」は、一首の位置から見て、漢字だと目立ち過ぎますので、ここはひらがなした方が良い気がします。
「あそばする」ですが、四段活用なら、「あそばす」で良い気がしますけれど、如何でしょうか。





題名:無題  名前:くも 2010/02/07(日) 14:55 No.4137 

13)身に覚えなき傷のあと今日もまた一つ二つと腕に殖えゆく

 わたしにも経験があります。
知らないうちに傷って出来ているんです。

ただし、「今日もまた一つ二つと」とあるんで、
この傷は無数にあるのだろうか、という
不可解な疑問がわいてしまいます。
(おそらくは、「殖えゆく」の表記に
作者はしかけを布置したんでしょうね)

 しかし、短歌というのは「己」にこだわるところから
はじまるものですから、そういう点からして、
この歌は、みずからを出発点として詠われていて、
歌の原点のようなものを示唆してくれている(かもしれないし)、
あるいは、これを読んで
「だから?」
という疑問符の感想も与えてしまうきらいもあります。

関係ないんですが、この歌を拝見して、
どうしても石本隆一のこの歌がちらついてしまって。

歴史の中にウィルス一つ終熄す創痕うつくしき腕に残して

石本隆一


  
 

題名:Re: 無題  名前: 2010/02/09(火) 14:42 No.4171 

13)身に覚えなき傷のあと今日もまた一つ二つと腕に殖えゆく

「聖痕」と言うのでしょうか、イエスが十字架にかけられるとき釘うたれたところに、ある日突然血が流れ出す、そう言う人々がいると聞きました。
また、リスト・カットも思いました。

評になっていませんね。

「殖えゆく」は漢字だと意味を持ちすぎる気がして、仮名が良いようにう思いますが如何でしょうか。





題名:鑑賞10)  名前:ふみまろ 2010/02/09(火) 10:34 No.4170 

10)唐突に君さり逝きし空たかくこずゑふるはす風の手話あり

「風の手話」という表現が印象的で、とても雰囲気のいい作品だと思うのですが、どこか焦点が絞りきれない感覚から抜け切れておりません。ひょっとすると詠み込まれた素材が多いのかもしれません。

とくに「空たかく」の部分ですが、これは帰天される方を偲ぶ心象としてはいいのですが、次に「こずゑ」が来ているので、ここで叙述が分断されてしまっている気がします。「たかく」は言わなくても良かったのでは?むしろ私は「空のした」などで良かったのではないかと感じます。

また、「さり逝きし」の部分ですが、「去る」と「逝く」が同じ意味の重複になってしまっていると思います。ここは漢字をあてるならば「去り行きし」の方ではないでしょうか?





題名:鑑賞 14)  名前:やねうらねこ 2010/02/08(月) 20:24 No.4155  HomePage

14)前髪をなおすしぐさの上目づかい アスファルトのうえさくら花舞う

 さくらの季節にはまだ早いのですが、さくらが登場するとどうしても四月の入学式のころの情景が想起されますね。前髪をなおすしぐさの(おそらくは)この少女もそういう季節の中に、新たな一歩を踏み出したのではないでしょうか。
 このしぐさ…「上目づかい」には異性への意識がそこはかとなく感じられます。新たな一歩をふみだすということは、当然それまでの生活との別れの場面もあるわけで、そのあたりの感情の流れを下句のように表現されたのでしょう。

  
 

題名:Re: 鑑賞 14)  名前:ふみまろ 2010/02/09(火) 10:14 No.4169 

14)前髪をなおすしぐさの上目づかい アスファルトのうえさくら花舞う


上目づかいは女性で主体を見上げており、主体は女性を見下ろしている。おそらくは主体に集中しているであろう女性に対し、主体の視界には地面に舞うさくらの花びらという違うものが映っている。

主体の見ているこのさくらはすでに枝を離れて散っているわけですね。対して、女性の目にはまだ散っていないさくらも見えているはず。ここに私は別れの含意を感じます。しかも風が吹いている。「前髪をなおす」というのも風によるものなのでしょう。結局この歌の一番大切な部分は、この詠われていない風に主体の心象が託されているということではないでしょうか。

詠まれていないことを読ませるたくみな歌だと思いました。





題名:鑑賞 15)  名前:長嶋信 2010/02/09(火) 00:07 No.4161 

15)降りしきる歌の遺伝子(ミーム)を掬はむと千手観音腕の残像

一首の中にミームという言葉が含まれています。

ミームとは動物行動学者のドーキンスが著書『利己的な遺伝子』(1975年)の中で提唱した概念で、情報や文化が発生し、模倣によって伝達され、そして淘汰されてゆく、その一連の有様を遺伝子による適応進化になぞらえた概念のことだそうです。ドーキンスの定義によればミームとは脳内の情報の単位を指しますが、後のミーム学者によれば文化的な人工物や行動も含まれるとのことです。

また、ドーキンスは同書で、進化論における比較的新しい学説であった「遺伝子選択説」、すなわち遺伝子に対して自然選択が作用する(従来説では種が選択されると考えられていた)とする主張を展開しました。『利己的な遺伝子』という書名はここから来ています。

ミーム学によれば、ミームもまた遺伝子のように複製されつつ選択を受けて、あるミームは残りあるミームは滅びるということになるでしょう。

次に千手観音ですが、なぜこの観音様は千本もの数え切れないほどの手を持っているのでしょうか。調べると、千本の手はどのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しているのだそうです。

ようやく歌本体にたどりつきました。「降りしきる歌」とあるように、歌にもさまざまなものがあります。写生、抒情、新仮名、旧仮名、文語、口語、定型、非定型、破調、相聞、社会詠、近代短歌、前衛短歌、などなど、到底書ききれませんが。ミームの概念をここに適用すれば、ある種の歌は真似されて生き残り、ある種の歌は淘汰されて過去のものとなります。しかし千手観音の千本の手にかかれば、どのような歌も救済されることだろう、というアイデアの歌なのでしょう。

一読して、ミームという道具立てがきちんと機能しているのか疑問に思いました。しかし、ミームについて勉強しながら批評を書くうちに、どうやら歌の仕掛けはきちんとしていると思い直しました。

欠点を挙げるなら、結句が説明的になってしまっているところでしょう。ここにもう少し味わいがあればと思います。

  
 

題名:Re: 鑑賞 15)  名前:くも 2010/02/09(火) 10:07 No.4167 

15)降りしきる歌の遺伝子(ミーム)を掬はむと千手観音腕の残像

テクニカルタームは長嶋さんにすべてお任せで。
うーん、なるほどと感心いたしております。

わたしは、下の句の「千手観音腕の残像」という二つの名詞の
羅列が気になります。「千手観音の腕の残像がどうしたのか」
ここを丁寧に詠みあげるのが歌の要だとおもうからです。

名詞の羅列の歌を穂村さんはなんとかっておっしゃっていました。(なんとかを忘れちゃった)
わたしは、「安さ爆発カメラのさくらや」的歌と呼んでいます。
ちょうどこの歌は、この仲間にはいってしまうとおもいます。

降りしきる歌のミームを掬はむと我は両手を広げていたり

ということなんでしょうね、きっと。下の句は、
もちろん、盗作です。







題名:鑑賞2)  名前:ゆるら 2010/02/08(月) 21:16 No.4157 

2)昼雪は微分夜雪は積分凍える指に缶詰開ける

太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎をねむらせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

三好 達治の「雪」という詩を思い出しました。
実のところ、微分積分が、何故昼雪 夜雪なのか、読み解けないままなのですが、感覚的に惹かれてしまった歌です。
夜となく昼となく降り続く雪に閉ざされ、籠もり続ける生活の厳しさを退廃的に詠うのではなく、淡々と、それでいて詩情を感じさせる表現に魅力を感じます。
 缶詰という、冷え冷えとした触覚の素材をもってきたところが効いていて、冬籠もりの生活の一端を読者は想像をふくらませることになります。

  
 

題名:Re: 鑑賞2)  名前:テキーラ 2010/02/08(月) 23:14 No.4160 

2)昼雪はびぶん夜雪は積分凍える指に缶詰開ける

かなり読むには手強い歌なんだけと良いと思います。雪は積もるから積分なのか?
下句の落とし所と上句のおもわせぶりな感じがなかなかいい塩梅ですね。
強いていえばび積と缶詰が近すぎるかなぁ。
昼がび分で夜が積分なんで聞いたこたぁない。
ただ、真っ白で軽くて光っている美しい無がありますよ。
缶詰のなかの小さな希望に愛を感じます。

「び」が文字化けします

  
 

題名:Re: 鑑賞2)  名前:村田馨 2010/02/09(火) 01:11 No.4162 

2)昼雪は微分夜雪は積分凍える指に缶詰開ける

分からなかったです。「微分」「積分」という言葉に何を託しているのか。微分は変化、積分は蓄積。微分は瞬間、積分は歴史。それぞれ意味することを拡張させてイメージするとこんな感じになるのですが、昼・夜との組みあわせているのは何を意図するのか。雪は何か。缶詰は何の比喩か。まだいろいろなものがバラバラで組みあがってきません。

  
 

題名:Re: 鑑賞2)  名前:やねうらねこ 2010/02/09(火) 06:33 No.4164  HomePage

>微分は変化、積分は蓄積。微分は瞬間、積分は歴史。

わたしも、わからなかったのですが、村田さんのコメントを読んでひとつアイデアがわきました。
昼の雪は降って地面に触れたとたんに溶けてしまう…変化。夜の雪は地面に触れても溶けずに、どんどん積もっていく…蓄積。
もしかすると、そういうことではないでしょうか。
それなら、自分のなかでしっくりとおさまります。

そして、見え方は違えど、雪の降る日は昼も夜も冷たくて、その冷たさで手がかじかむ。その冷たさがひしひしと感じられるのが缶詰のような金属のものにふれるときだと。
しかし、作者はその冷たさを辛いとか感じているでのはないと思います。降る雪をイメージしながらその雪の冷たさを味わっている…そんな感覚のような気がします。

  
 

題名:Re: 鑑賞2)  名前:くも 2010/02/09(火) 09:56 No.4166 

2)昼雪は微分夜雪は積分凍える指に缶詰開ける

わたしは数学が苦手ですから、よくわかりません。
よくわからないものが、よくわからないまま読めば、
昼に雪はちらほらと、夜はどっさり積もるくらいに降っている、
という状況かなあ、とおもっていました。

「凍える指に缶詰開ける」のが、いつ? どこで?

がはっきりしないのが「難」でしょうか。

まるで、夜も昼も外にいて、たとえば遭難して、
降りしきる雪の中で、缶詰を開けてしのいでいる、
そう取られてもしかたない要素を残しているのでは
ないでしょうか。(おそらく、そうじゃないでしょうが)





題名:鑑賞 11)  名前:やねうらねこ 2010/02/07(日) 16:12 No.4141  HomePage

11)指きりを忘れた夜は雨ふりで期限の切れた卵がひとつ

 指切りを忘れた夜は雨ふりで…そこには何かとりかわしておきたかった約束ごとがあったのでしょう。その約束は雨に洗い流されてしまう感じ、また涙のイメージにもつながり、とりかえしのつかないものの切なさを想起させます。そして下の句もそこにイメージを引き付けています。

 ただ「期限の切れた卵」という言い方では、食べるための卵という感じがします。食べるための卵は無精卵という感じがして、損をしていないでしょうか。孵化することのない生きた卵であればという気がします。

  
 

題名:Re: 鑑賞 11)  名前:ゆるら 2010/02/07(日) 21:13 No.4147 

11)指きりを忘れた夜は雨ふりで期限の切れた卵がひとつ

「指切りを忘れた夜」と「期限の切れた卵」がどう結びつくかと言われれば、説明しがたいのですが、理屈抜きでぴったりおさまっていて、好きな一首です。やねうらねこさんが、言われているように、「とりかわしておきたかった約束ごと」があったのに叶わなかったという悔い、そして雨降り‥そして、その悔いの象徴のような、賞味期限をすぎてしまったひとつの卵‥
素材の展開が、とても巧みな一首だと思います。

  
 

題名:Re: 鑑賞 11)  名前:くも 2010/02/08(月) 09:05 No.4151 

11)指きりを忘れた夜は雨ふりで期限の切れた卵がひとつ

一言で申し上げると「狭隘な空間の詩」を感じます。
詩には、外界に拡散してゆく(開かれた)詩と、
個人の心に収斂してゆく(閉じられた)詩と、
あるようにおもうんですが、この歌は後者に属するのでしょう。

ただ、細かいことを申し上げると、
「指きりを忘れた夜は」の「は」があることから、
指きりをした相手とは、日常の身近な存在を想起させます。
しかし、「雨ふりで」とあるから、
この「指きりを忘れた」日は、非日常の一シーンを想起させます。つまり、「雨ふりで」としてしまうと、
日常と非日常とが衝突しあって、(ほんとに微妙な点において)
矛盾をはらんでしまうんではないでしょうか。

指きりを忘れた夜に雨のふる

こういうふうに詠んでいれば、上記のわたしのような
感想はまったくわきません。いかがでしょう。

やはり「雨ふりで」が、歌全体にかかわるすべてを
支配してるんだ、ということに改めて感ぜざるを得ません。
「腰の句」は大切ですね。
さらにいえば、「雨ふりで」は、
どうしても「散文のにおい」を残していますし、
やはり、ここは「お取り替え」がよろしいのでは、
とおもいます。

さて、下の句の話ですが、

ゆるらさんが「素材の展開が、とても巧みな一首」と
評されています。そうだとおもいます。が、
「期限の切れた卵がひとつ(「がどうしている」が抜けていますが)」は、読者の主体的介入をどかで阻んでいるきらいも
あるんではないかとおもってます。

 読者が入り込めない、作者だけの世界を
作者はそっと取っておきたかったんじゃないでしょうか。

 わたし(作者)の保持している世界は、こうである、
が、これを外から眺めてくれることはいっこうに
かまわないけれど、この感覚を共有してほしくない、
という作者がそこにいるんではないか、
わたしは、そう感じてしまいます。

その手法が、けっして悪いとは申しません。
こういう手法が好きか、きらいか、という点だと
おもいます。

「狭隘な空間の詩」ということはこういうことです。

想像の世界は拡がらず、想像は作者の深奥に入りこんでゆく、
しかし、どかで拒む作者がいる、こういう「はがゆさ」と「窮屈さ」がすこぶる好みというひともいるんです。
(ゆるらさんがそうだとはもうしてませんが)

  
 

題名:Re: 鑑賞 11)  名前:ふみまろ 2010/02/09(火) 09:43 No.4165 

11)指きりを忘れた夜は雨ふりで期限の切れた卵がひとつ

「指きりを忘れた」の部分ですが、「指きりしたことを忘れた」のか、「指きりすることを忘れた」のか、これだけでは判別がつきかねると思います。しかしながら「期限の切れた」という、過去から現在にいたる時間の表現がありますので、私はここは「指きりしたことを忘れた」というふうに読みたいと思います。

指きりしていた内容は明かされておりません。これは言ってしまったのではつまらないということなのでしょう。下の句からその物語を読み手がどう立ち上げるかだと思います。

「期限の切れた卵」には非常に女性的な含意を感じます。この卵は流れ去るしかないのでしょう。ここに「雨ふり」との連鎖を読み取ることも可能かと思います。約束の夜が果たされなかったのでしょうか。しかしここにはひとつの疑問が浮かび上がります。もしこれが男女の約束であるならば、果たされないことはあるとしても、「忘れた」ということはあまりないように思われます。

そこで、まったく違う読みかたをしてみましたが、これはおそらくお子さんが買い物に行く指きりを忘れてしまったのような状態ではないでしょうか。子どもならば約束を忘れていたというのはよくあることです。卵を買ってくるように言われていたのではないでしょうかね。しかし忘れてしまって夜になって外は雨で、今さら買いに行かせるわけにもいかず、今夜は卵を使えなくなってしまった。

そうするとこの卵は、女性的なもののメタファというより、親子の約束が果たされなかったことへの少し残念な気持ちのメタファの役割を持つのかなと思いますが、それがうまく機能しているかどうか、ここがポイントだと思います。





題名:無題  名前:くも 2010/02/08(月) 08:39 No.4133 

6)をとがひに触るるゆびさきつめたければ次の世もまたをんなにあれな

「をとがひ(頤)」は、歌仙(連歌)では、
「恋」の句につながる語として使われます。

この作品では、直接「恋」とはかかわらないまでも、
うっすらと女性の情感をにじませていますね。

この「ゆびさき」は主語がないからとうぜん
作中主体の「ゆびさき」ととらえていいのでしょう。
その「ゆびさき」がつめたいので、来世で、
もういちど「女」として生まれ変わりたいという、
清らかな自己愛をうまく詠いあげていますね。

こういう歌は、わたしどもには作れないので、
ある意味うらやましいかぎりです。

ただ、ひとつ残念におもうのは「ば」の使い方です。
因果関係を生みだす接続助詞は、できればないほうが
歌の姿を美しくさせます。

「ば」のない歌と比較されてはいかがでしょう。

(「次の世もまた」のところも推敲できるかも)



  
 

題名:Re: 鑑賞 6)  名前:やねうらねこ 2010/02/07(日) 16:09 No.4139  HomePage

6)をとがひに触るるゆびさきつめたければ次の世もまたをんなにあれな

 おとがい、つまりのどもとに指先が触れる…というと、何か首を絞められているようなイメージが湧いてきます。しかも、ゆびさきが冷たく、微妙な言い回しの行間に死をすべりこませている感じ…。印象深い作品でした。

  
 

題名:Re: 無題  名前:瀬波麻人 2010/02/07(日) 21:00 No.4145 

好きな歌ではありますが正直ちょっと状況が見えにくい。

おとがいに指先が触れるというシチュエーションからは
単純にキスあるいは安堵できる男女の関係性の中のふとした
心地よいふれあいということが想起できるのですが
そのような情景が自然に思い浮かんだ後の流れでの
「つめたければ」に「おおっ?」と小さく引っかかり
そこから「次の世もまたをんなにあれな」につながると
やねうらねこさんのおっしゃるように首を絞められるとか
初句からの流れで想起しかけていたよりももうちょっと
ひんやりとした鋭敏な状況にイメージ修正しなくては
いけないのかという気になるも自分のなかでうまく統合できず。

しかし下の句は下の句の魅力があり、惹かれる歌ではあります。

  
 

題名:Re: 無題  名前:ゆるら 2010/02/07(日) 21:00 No.4146 

6)をとがひに触るるゆびさきつめたければ次の世もまたをんなにあれな

雰囲気のある歌だと思うのですが、因果関係がわかりません。くもさんのおっしゃるように、「をとがひに触るる」のが作中主体だとすると、冷たいと感じているのは作中主体自身の指先だということになります。でも、歌の雰囲気からして、おとがいに触れられている人が、その指先を冷たいと感じている気がします。
 また、その指先が冷たいと感じることによって、次に生まれ変わってくるときにも女でありたい(あってほしい)と感じるだろうかという疑問もあります。次の世もまた女でありたい、あるいはあってほしいと願っているのは、誰なのか、読み解けなくて混乱しています。

  
 

題名:Re: 無題  名前:くも 2010/02/08(月) 08:37 No.4150 

ゆるらさん

わたしは、この歌は、女性が化粧をしているときに
ふと、感じたことをそのまま歌にしたんではないかと、
そうおもってます。

(どこにも書いていませんが)この歌には「鏡」という
道具が必要だったんではないかなぁ。

「をとがい」に触れるゆびさきも、みずから、鏡のまえで
みずからを見て、そう認識している。

ま、あくまで推論で、証拠はありませんが、
わたしは、そう踏んでいます。

二伸

ただし、作者に自覚がなかったのは、もし鏡などによって
みずからを認識したのなら、その対象物は、じぶんと
逆に写っています。みずから逆に写ったもので、じぶんを
認識するとそこに狂気が生まれるそうです。
(ラカンの言う「鏡像段階」。これは乳幼児のときに
そうなるらしいです)
そういう狂気さは、この歌からは感じられません。

わたしの推論がある程度近かったら、
この「狂気」さをどこかににじませると、
まったく別の角度からの歌ができて、とてもおもしろくなるんですけど、これは、あくまで感想ということで。

  
 

題名:Re: 無題  名前:ゆるら 2010/02/08(月) 20:56 No.4156 

6)をとがひに触るるゆびさきつめたければ次の世もまたをんなにあれな

くもさま

「この歌は、女性が化粧をしているときに
ふと、感じたことをそのまま歌にしたんではないかと、
そうおもってます。」

私には、そういう読み解きはできませんでした。なるほど‥という感じです。

ただ、指先の冷たさから、次の世も女として生きたいと思うまでの、くもさんの言われるような、道具立てが必要ではないかという気がします。


  
 

題名:Re: 無題  名前:ぷよよん 2010/02/08(月) 22:48 No.4158 

俵万智の

▼水蜜桃の汁すうごとく愛されて前世も我は女と思う
の歌をなんとなく思い浮べました。

もちろんこの歌は前世ではなく来世も女にという歌なんですが。

俵万智の歌のようにすんなりと入ってこないもどかしさがあります。

くもさんのおっしゃる「ば」も気にはなります。


しかし、それを差し引いてもなんとなく雰囲気のある素敵な歌だと思いました。

  
 

題名:Re: 無題  名前:森川雅美 2010/02/09(火) 01:51 No.4163 

いい歌ですね。
漢字とひらがなの使い方がうまいです。
いうまでもなくひらがなは感触が、漢字は思考が強く出ます。
「をとがひ」と「ゆびさき」を「に触るる」でつなぐことで、体の部位が実感を伴って伝わります。その後の「つめたければ」はひらがなが絶妙。感触が一気に研ぎ澄まされます。フィニッシュの「次の世もまたをんなにあれな」はぐっと距離ができます。少ない言葉の中での、漢字とひらがなのバランスでの、感触と思考の往還は見事です。
勉強になります。





題名:鑑賞 9)  名前:やねうらねこ 2010/02/08(月) 20:15 No.4154  HomePage

9)慈しむつよさでなぞる指先の、知らない街の知らないシーツ

 下の句の「知らない街の…」というフレーズには、「知らない街を歩いてみたい どこか遠くへゆきたい・・」という懐かしい曲のメロディを思い出しました。しかし「知らないシーツ」へ着地してしまうと、そういう叙情的なイメージから、現実的な世界へ戻ってきてしまう感じがします。何か意図があるのでしょうか。
 それから「慈しむつよさでなぞる」というのがよくわからない。「慈しむようになぞる」というのであれば、たぶん強さだけの問題ではなく、「なぞる速さ」「なぞるやわらかさ」「なぞるときの指の使い方」…いろいろな要素をはらんでくると思うのです。それをわざわざ「つよさ」だけに限定してしまうのはなぜなのでしょうか。
 …ちょっと、わたしには読み切れなくて、謎めいた作品ですね。


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