window
トップページ > 記事閲覧
このエントリーをはてなブックマークに追加
* 128N.com的短編小説スレ

日時: 2010/01/15 17:01 メンテ
名前: 魂蛙

オリジナル・二次創作兼用の短編小説スレッドです。
特に文字数に基準らしい基準はありませんが、大体1回の投稿で完結する物は短編、と考えてみて下さい。
 
Page: [1] [2]
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.11 )
日時: 2009/06/27 23:46 メンテ
名前: 小豆龍

 MATUさん、p太さん、Tさんと行った三題話です。あんまり推敲していないので、誤字脱字があったら優しく教えてくださいね。


三題話『ドーナツ』『土壁』『チャイム』


 お隣の土地に重機が搬入され、家屋が取り壊され始めたのは五日前からだった。
 高崎和博(たかさき・かずひろ)は学校から家に帰るたび、母親から愚痴を聞かされている。昼の間、お隣がうるさくて家事に集中できない。落ち着いてテレビを見ることもできない。うっかり連続ドラマを見逃してしまった。ああ、もう、うるさいったらありゃしない。
 しかしそれは、奥浦(おくうら)町ではありふれた出来事であった。
 都心の地価が値上がりし、生活環境も悪化してきた昨今。多くの都心住民が自然の残る郊外に居を求め、引っ越してきた。奥浦町もその一つであった。巷ではこれをドーナツ現象と呼び、社会問題としている。和博もテレビで名前だけは聞いていたが、実感はなかった。
 別に何も困ったことはない。逆に良いことづくめだと和博は感じていた。以前は寂れたような印象しかなかった奥浦町だったが、人口が増えたためか、商店街は活気づき、大型量販店も駅前にできた。ミスタードーナツもできたそうだ。しかも、近々駅を大々的にリニューアルする話が、町議会を通じて県議会でも話し合われているという。
 ドーナツ現象万歳だ。
 和博は諸手をあげて、ドーナツ現象を応援している。


 日曜日の正午過ぎ。玄関のチャイムが鳴った。和博はテレビゲームの画面から目を離した。母親が応対に出たようだ。陽気なおしゃべりが、二階からでは内容までは分からないものの聞こえてくる。和博は、相手はおばさんなんだろう、と見当をつけ、ゲームを再開した。
「和博ー! お客さんよー!」
 母親の声に少しイラッとくる。ゲームはちょうどボス戦が始まったところで、セーブができるような状態ではなかった。
「はいよー!」
 和博はゲームをつけっぱなしにしたまま部屋を出た。階段を下りる中、はて、お客とは誰だろう、と内心で首をひねっていた。
 階段を下りきると、正面は脱衣所と風呂場の入口だ。和博はのんびり右に曲がった。そこから畳三枚分の場所に玄関はあり、お客さんがいた。お客さんはおばさんではなかった。和博は軽い戸惑いを覚えながら、お客さんに声をかけた。
「長谷川じゃん。なんか用?」
 そう言った途端、和博は母親に頭をぽかりと叩かれた。
「ってぇな! 何すんだよ!」
「ぶっきらぼうな事言ってるあんたが悪いの!」
 お客さんがクスクス笑っている。
「おばさん、どうぞおかまいなく」
「あら、そう? おほほほほ……」
 和博は二人の女性、母とクラスメイトの長谷川琉子(はせがわ・りゅうこ)を見比べながら呟いた。
「意味分かんねえ」


 母親がそそくさと退散した後、和博は琉子に改めて要件を尋ねた。琉子とは、小さいころよく遊んだ。中学生になってからは少し疎遠になったが、おしゃべりくらいはする仲だ。でも家を訪ねてくるとは珍しい。
「ちょっと付き合ってくれない?」
 は、と心臓が痛いくらいにうごめいた。何を言い出すのかと思った。が、ないない、と深く否定した。別の意味に違いない。
「どこに?」
「いいから」
 琉子はそれだけ言うと、和博に背を向けてさっさと外に出て行ってしまった。
「ちょっと出かけてくるー!」
 和博は家の中に向かって叫び、慌てて琉子の跡を追った。玄関から出る時、「門限までには帰るのよー!」と母親の声が聞こえた。門限なんていつ決めたんだ、と和博は胸の内で母親に毒付いた。
 和博は琉子の跡を追った。琉子は和博が来るのをちらりと見て確認した後は、一回も振り返らずにずんずん進んでいった。和博はつっかけたサンダルが脱げないように気をつけながら、歩く速度を上げた。
 道は最近整備された真っ黒な色のアスファルトで、かすかに、かいだ事のない臭いがしている。両脇の白線は色濃く写り、嫌でも目に入る。トラックや重機がしょっちゅう通るようになっていた。
 二、三分は経っただろうか。琉子が立ち止った。和博が追いつくと、琉子は、あれ、と言って工事現場を指差した。そこでは家屋を解体していた。大きなショベルカーが、ゲームセンターのUFOキャッチャーのような物を腕の先につけ、家の土壁をはぎ取るようにして壊していた。地面に倒れた土壁はこまかくひび割れ、砕けていった。
 琉子がぼそりと呟く。
「間に合わなかった」
「え、何?」
 和博が問うと、琉子は悲しそうな顔に、うっすら笑みを浮かべた。
「覚えてないんだ?」
「ああ、ここの事? 若嶋のおばあさんの家だろ? 土倉でよく遊ばせてもらったよな」
 琉子の顔が喜色だけになった。和博は琉子から目をそらして壊されていく土倉を見た。
「引っ越したのかな?」
「みたいだよ。この土地が高く売れたんだって。これからは北海道のお孫さんの家で暮らすんだって」
「え、そうなのか。挨拶くらいしたかったな」
 うん、と琉子は頷いた。まなじりが下がるのを、和博は見ていた。
「なんか、嫌だよね」
「そうだな」
 和博は頷いた。
「この土地が売れなければ、おばあさんはどこにも行かなかったし、ここも、無くならなかったよね」
 和博は何も言えなかった。琉子が何を言いたいのか、いまいち、見当がつかなかったから。でも、何か大事なことだとは気付いている。この靄は一体なんだろう。
「ごめんね。用はこれだけ」
 あ、そう? と言うと、うん、と頷かれた。和博はぽりぽりと後頭部をかいた。
「じゃあ、今度は俺にも付き合ってくれよ」
「え?」
 琉子がびっくりしたような顔で和博を見た。
「駅前の商店街にミスタードーナツができたんだって。今度、一緒に行こう。暇な時でいいよ」
 言ってしまってから、え、これ、デートの申し出じゃね? という思考が付随してきた。顔が赤くなっていないか心配になった。耳が熱い。気付かないでくれ、と強く願ってしまった。
「いいよ。明日の放課後、とか……」
 琉子は語尾を言いきる前にそっぽを向いた。和博は、あ、うん、分かった、じゃあ、明日、と切れ切れに言って、逃げるように元来た道を引き返した。


 家に帰ると、母親がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべていた。
「早かったわねぇ〜」
「うるさい」
 和博はスタタタタと母親を振りきり、階段を登った。今は誰にも顔を合わせたくない。テレビゲームを再開しようと、ゲーム機の前に座った。
「和博、琉子ちゃんと遊ぶのもいいけど、電気は大事にしなくちゃだめよ」
 テレビ画面は真っ黒で、ゲーム機の電源も切られていた。一時間かけて踏破したダンジョンを、また一から始めなくてはならなくなっていた。
 でも、そんな事、和博にはどうでも良くなっていた。




【あとがき】
あえてノーコメント……。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.12 )
日時: 2009/05/05 21:49 メンテ
名前: MATU


『三題話』

「ドーナツ」「土壁」「チャイム」


86400。
今日の四時間目の数学の時間に、先生から投げかけられた問い。


「あなたの机の上に毎日86400円がおかれるとします。
 あなたはその86400円をどう使おうが自由です。
 しかし1円たりとも翌日に持ち越すことはできません。たとえ1円たりとも使わなかったとしても。
 さて、あなたはこれをどう使いますか? 教えて下さい」


そう問われた瞬間、86400円はつまりセール中の100円ドーナツ864個だなと計算したのは、鞄を肩に掛けて風を切る学生服の男。
更に864個を三食分に分ければ一食288個。
毎日、必ず。
大好きな大好きなドーナツが手に入る。
彼は自分の机の上に堆く積もるドーナツの山を夢見て、先生が熱っぽく質問の真意を説明するのも一切聞かず、満足げににんまりと笑っていた。
しかし今、彼は凄まじい形相で自転車のペダルを漕いでいる。
その理由はひとつ。
864個のドーナツの妄想に浸っていた彼は、いつの間にか鳴っていた四時間目の終わりのチャイムを聞き逃した。
それはすなわち、食堂へのスタートダッシュを切り損ねたということ。
そしてそれが彼にもたらしたものは何か。
大食漢の彼にとって、もっとも耐えがたいもの──空腹だった。


ホームルーム終了のチャイムで目を覚まし、委員長の号令に従って礼をし、机を下げて。
そうして一分後に彼は三段変速を備えた自転車に飛び乗っていた。
彼は小学校も、中学校も、そして高校もすべて地元のそれに通って来た。
11年と2ヵ月の間、まさにここら一帯を庭として過ごしてきた彼は要所要所の信号の変わるタイミングまで完璧に覚えていた。
一度も信号にひっかかることなく、全力で駅前まで彼は駆け抜ける。
駐輪禁止と書かれた看板など目もくれず、たくさんの群れの中に相棒を紛れ込ませる。
そして、7年と11ヵ月の間通い続けているドーナツ屋に飛び込もうとした。
その彼の目に次の瞬間飛び込んできたのは『臨時休業』の四文字。


脳に酸素が行きわたり、その文言を理解するまで、彼の体型では少し時間が要った。
数秒して理解した時、彼は大きな溜息をついた。
「俺、何か悪いことしたかなぁ」
いや悪くない、いいや悪くないぞと、心の中で返事をしながら彼は呟く。
とにかく何があったのだろうかと思い、彼は張り紙に顔を近づける。


 店長の体調不良により、本日臨時休業。
 ご心配をかけて申し訳ありません。  6月3日。店長より。


彼はもう一度大きな溜息をつく。
とりあえず無理な運動を強いた身体を休ませようとして、ドーナツ屋の壁に身体を預ける。
駅前の建物としては異様な雰囲気を持つ茶色い土壁は、このドーナツ屋が出来る前の蕎麦屋時代からのものだと聞いたことがある。
クラスの連中の一説によれば蕎麦屋の前の居酒屋、更にその前の鯛焼き屋、更に更にその前の……と続いてきたと言われている。
そこまで本当かどうかは彼は知らないが、ともかくこの土壁が長い年月を経てきたということはこのドーナツ屋の店長から聞いた。
「俺が作りたいドーナツにはこの壁は合わないかもしれないけど、
 だからって壊したりしたら、これ、いくつもの店を守ってきたんだから、罰があたる気がしてだな。
 それで壊さないでそのままやってみたらよ、意外とこれがいいもんだとだんだん分かってきてな」


そんなことを小学生の頃の彼と母親に言っていた、人柄のよい『おじさん』で通る白髪の店長の顔を彼は思い浮かべる。
このご時世に珍しく個人で店をやっており、駅前に店を構えたものの、
それ程儲かってるわけでもない、なんとかやっていけるほどではあるけども、とよく彼は愚痴の対象になっていた。
「一番のお得意様に言うのもなんだけれどもよ」
それが枕詞だったが、最近はそれがなくなっていたことに彼は気付く。
儲かっているのだろうなと一人合点していた彼であったが、冷静に思えば不況の今、こんな小さな店がそんな売れるはずがないだろう。
店長はもしかしたら、無理をしていたのかもしれない。
「何がいいってそりゃお前、外から見れば味がある。中にいればなんだかいい気分になれる。
 なんつってもいくつもの店から受け継いできてるんだ。毎日拝んでるんだぜ。今日もいいもんが作れますようになって」
いつか聞いた店長の言葉を彼は思い出し、古ぼけた土壁に手を触れた。
握り拳を作り、二回、後で後悔する程強く叩いた。


彼はやはり信号にひっかかることなく家の前に辿り着く。
一年前に建て替えたばかりで、まだ真新しい我が土壁を彼は自転車に跨ったまま眺めた。
普段は何も思うことはないが今日ばかりは違った。
何の味もない、まっ更に塗り固められ、一切の表情を見せないそれ。
駅前のあの土壁と比べてみて、わけもなく彼は恥ずかしくなった。
そんな気持ちをよそに鳴る彼の腹。
三秒夕焼け空を見やり、下手な感傷を捨て去った彼は自転車を降り、庭に止めて鍵をかける。
「腹が減ってるから、いやーな方向に考えが向かうんだ。うん」
そうだ、そうに違いないと彼は断じる。
自転車を漕いでいる間ずっと思考を支配していた店長のことをも、きっと大丈夫さと潔く忘れる。
そして今まさに準備されているだろう今日の晩御飯に思いを馳せる。
「まず、今できることをやればいい。今できない明日のこととか、もうできない昨日のこととか考えてもしょうがないから」
それは彼が17年と9ヵ月の間で導き出したひとつの生き方。


そう言いながら、しかし彼はひとつだけ明日の予定を立てた。
「明日、今日の分も食べないとな」
何を買おうか、あのクリームがいっぱいのにしようか、それともチョコのコーティングのやつにしようか。
ドアを開けようとしたが、何故か動かない。
鍵がかかっていた。
息子の帰ってくる時間ぐらい把握しておいてほしいなと思いながら、彼は我が家のチャイムを鳴らす。
「もしもし?」
「ただいま」
短い会話の後、ドアが開く。
やった、今日はカレーだと彼は小躍り。
頭の中に浮かんでいた数十種のドーナツの虚像はぱっと消える。
まずは今日さ。
ドアが閉まるより早く、彼は靴を脱いでいた。


・あとがき・
慣れないことはするもんじゃありません。
また機会があればやってみたいですけれどもね。
ちなみに最初に書いた86400の件は、あれ、一日の時間のことです。
60×60×24=86400。
有名な話らしいですね。私は知らなかった。


* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.13 )
日時: 2009/05/06 00:48 メンテ
名前: ざ・T(♂)

『三題話』の『三人目』

お題も同じく「ドーナツ」「土壁」「チャイム」にて
誤字脱字は優しく指摘の方向で


とある晴れた日の休日、バイトがキャンセルになった珍しいオフの日。
前から欲しかったUFOキャッチャーのぬいぐるみをついこの間ゲットして、あんまりお金にも時間にも困ってないときに突然手に入れた休みの日。
特に欲してたわけじゃあ無かったけど、貰っちゃったら満喫するのがあたりまえ。すること無かったら無理やり探しだそうとするくらいには、私はアクティブだ。

学校で噂話を小耳に挟んだところによると、最近白十字商店街の一角にオープンした小さなドーナッツ屋さんが結構おいしいらしい。
その中でも、チョコをしっかりと染み込ませて焼き揚げた生地に、さらに温かいチョコをかけて頂く“チョコレートパニック”の作りたては絶品だと大評判で、
出来立てを食べるためだけに、店頭に並ぶ時間帯を何日もかけて調べて訪れたって話も聞いたっけ。

そこまで激しく話題になるのなら、ちょっと食べに行ってみようかしらと思い立ち、身支度を適当に整えて家を出発。
タイミングよく来た電車に飛び乗り、適度に空いてる窓際へ座って、後はゆらゆら揺れるだけ。
白十字商店街なら、家からだと普通電車で三つ目の駅からスグだから――ちょっと頑張れば自転車でもいける距離かな。次あたりはそうしてみよう。

なんて簡単な決意を胸に秘める頃にはもう、列車は二つ目の駅を通り過ぎていて、
ふと電車で三駅移動するのに必要なお金の額と、家から商店街まで自転車で行くのにかかる時間と労力とが私の心の天秤の上で動き出し、
やがて、微妙な均衡を経て自転車側へ天秤が傾くのと同時に、白十字商店街前のアナウンスが流れ出したのを聞き取って、
つい先ほどまでの際どい葛藤もどこ吹く風と言わんばかりに、私はドアの向こうへと歩き始めた。

自動改札を抜けて正面の大階段を降りていくと、見慣れた欧風の街並みが広がっていて――
えーっと、あのお店ってこっちで合ってたっけなー…… ま、時間はあるんだし、ゆっくり探そうかなと考えて、のんびりと歩き出す。
大通りを右に、T字路を左折して――帽子屋さんの角をもう一度左へ、
自動販売機でPETボトルのオレンジジュースを買ってちょびちょび口へ運びながら、スローなテンポで歩き続ける。
酒屋さんの前の十字路を直進して――そのまましばらく歩いていると……
「おっ」
小さな十字路の角の所に、件のドーナッツ屋を発見。
看板でもしっかりと確認して、とてとて小走りで近づいてみると、なるほど甘くて美味しそうな良いにおいがしてくる。

迷わず西洋風で可愛らしい木扉を開けてカラコロとベルを鳴らしながら入店すると、
隣のクラスの女の子と逢ったり、ギャルっぽい格好のお姉さま方がいたりでそれなりに賑やかなふんいきがお店の中一杯に広がっていた。
友達ときているわけじゃなかったし、評判の味がどれほどのものか気になって来ただけだったので、始めからテイクアウトするつもりでトレイを取って陳列棚のほうへ歩き出す。

“チョコレートパニック”ともう一つ、イチゴ味がメインのをトレイに載せた辺りで、そういえば幼稚園の頃から仲良かった友達が、この辺りに引っ越してたんだっけと思い出し、
もう一つずつトレイにのせて隣の棚の所へ移動。ハチミツ味とシナモン味をそれぞれ取ってからカウンターへ。後でワリカンにするために、レシートを貰うのは忘れない。

お店を出て、前に電話で聞いておいたメモを頼りに歩き出すと、思っていたよりもスグに、目印になる大時計のある広場を見つけられたから、
後はもうイモヅル式で、ドーナッツ屋を出てから20分ちょっとで着いてしまった。
時間はお昼の二時半過ぎ、サプライズの登場には割りと良い時間帯かと思い、あまりタイミングを計ったりもせずチャイムに手を伸ばす。

〜♪

「はいナー」
少し時間をおいて、軽く間延びした声が聞こえた。どうやら向こうも相当まったりした時間を過ごしていたらしい。
「私―、加奈子―。」
「おー、カナかいな、久しぶりー」
ドアを挟んだ相手に名乗ると、緩んだふんいきと同時に古びた木扉が開き、目的の人物が顔を出した。
「ミーちゃんも久しぶりだねぇ」
「んー、中学の卒業式以来やっけ?まぁ立ち話もアレやし、上がって上がってー」
「お邪魔しまーす。」
言われた通りに上がろうとしたところで、突然通せんぼを食らった。
「邪魔すんならうっちもカナを邪魔したるでー?」
「いやいやいや、ここで邪魔されると本当に困るんだけど、意味無く」
「よし、ミションコンプリートやナ」
そういうとミーちゃんは、軽いガッツポーズをしてから自分の部屋へ案内してくれた。

彼女は、いつもいつでもマイペース。例えるなら土壁みたいな心をした奴なのだ。
それなりにしなやかで強くはあるものの、誰かの涙に弱く、スグにボロボロと崩れてしまう。良く言えば情に厚い。悪く言えば騙されやすい人。

「そういえば小母さんはどうしたの?ついでに挨拶くらいしとこうと思ってたんだけど」
「んー、さっき夕飯の買い物に行くってゆーてたな。多分今頃は近所のオバさま方と井戸端会議の真っ最中やろー」
「そっかー、ちょっと残念だな」
「んー」
「ところで、この辺で最近オープンしたドーナッツのお店って知ってる?」
「んにゃ、店名くらいしか知らんなぁー」
「ほほぅ」
「む、その表情は何かある顔やな?どれお姉さんにポンと白状してみぃ」
「お姉さんて、誕生日半年も違わないでしょうに」
「まー、細かいところケチケチ気にしない方向でー」
「はいはい、じゃあ出すよ、注目の一品」
「おおぅ、待ってましたぁー」
「ジャジャーン☆」
「おー……」
「や、もっと盛り上がってよ」
「んー、大体想像つくし、どんだけウマイ言うても、所詮はドーナッツやしなぁ……?」
「そーゆーの、私みたいに慣れてない人の前でやると物凄い勢いで非難ゴウゴウだからやめとき」
「あいョー」
「はい、こっちの箱がミーちゃんの分ね」
「おー、改めてみるとちょっと美味そうに見えるナー」
「でしょー?」
「カナが威張るとことチガウで?」
「まぁね」
「ほな、頂こかー」
「うん。あ、こっちの全部チョコのが一番評判良いよ、私のクラスだと」
「ほほぅ、どりゃどりゃ」
そして、2人同時にチョコパニックにかぶりつく。
「オホッ、こりゃ美味いナー」
「ほんとだね、軽く予想外」
「うっちもやわ、何時の間にこんな美味いドーナッツが出来る時代になったんや?」
「さぁ?ナンだったらお店の人にでも聞いてこようか、また何時か」
「いや、それほどの事でもないて」
「それもそうだね」
「んー、にしても美味いナー」
「ところで、このチョコのなんだけど」
「おぅ、どったね?」
「出来立てはこれよりもう一段階美味しいくて、『絶品』って域らしいよ?まぁこっちも噂で聞いただけなんだけど、」
「ほほぅ、興味わくナー」
「ホントに、今度出来立てがお店に並ぶ時間とか調べて一緒に行く?」
「おおぅ、行こう!絶対行こう!」
「おや、珍しくテンション高いね」
「まーナ」
「ところで、このお代だけどワリカンでいいよね?」
「そんな殺生ナ!うっち殆どバイトとかしとらへんねんで?勘弁してやぁ」
「しょうがない、レシート取っとくから就職でもしたら返してもらうよ?」
「おぉ有難や、カナちゃんが仏さんに見える……ッ!」
「まだそんな歳じゃないよ、大げさな」
「ってことはいずれは成るつもりなんか!?ホ…ホトケさんに!」
「縁起でもないこと言わないでよ、全く」

そうやってドーナッツをネタに下らない話をして、たまに2人してやたらハイテンションになったり、
昔話に花を咲かせたと思ったら、いつのまにかそれからの話をしていて、
口の中に必要な水分を求めるミーちゃんに近くの自販機までつき合わされる
そんな、何でもない幸せな日常の1ページ。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.14 )
日時: 2009/05/13 00:05 メンテ
名前: p太

「三課題」   四人目


御題は「ドーナツ」「土壁」「チャイム」

「馬鹿でも分かる空洞論」


 馬鹿が部屋に篭ってから、もう三時間近く経つ。事前に入っていた予定をすっぽかしてまで考えるべきことでもあるっていうんだろうか。
 迎えに来てまで待ちぼうけを食らっていた私はたいそう腹が立って、馬鹿の部屋の扉を蹴るようにして開け……ようとしたところで、引かないと空かない構造になっているのを思い出して、余計にもどかしくなる。
「ああ、なんだ君か」
「なんだじゃないよ。この部屋には時計が無いの?」
 仕方が無いので、出来るだけ力を込めて思いきり引いたら、「考える人」のポーズでうつむいている馬鹿が見えた。何のことも無く、本当に考えているのだ。多分、三時間近くずっとこのポーズで。
「何を言っているんだ。君がくれた時計があるじゃないか。『あんたは時間がさっぱり守れないから』と。とても助かっている。ありがとう」
 この馬鹿は愚直で真摯な馬鹿だ。だから、ざんばら髪から覗く瞳は真剣そのものだし、からかったり誤魔化したりする様子は欠片も無い。
「安物だよ」
 気恥ずかしくなって、あさっての方向を向きながら答えた。「それでも、助かった」と、答える馬鹿は、やっぱりまっすぐにこちらを見据えているのだろう。
「でも、守れて無いじゃない。三時間近く待ちぼうけだよ私は。どうしてくれんのさ」
 馬鹿は一瞬だけきょとんと意外そうな顔をして、それから、私の送った時計に目をやってから、深く、頭を下げた。
「すまない」
「忘れてたの?」
「考えていた」
 深く目を伏せたまま答えられると、怒るに怒れない。この馬鹿はどこまでも真剣だから。
 それに、こいつが考え事に夢中になって周りが見えなくなるのはいつもの事で、だから時計を贈ったんだけど、それすら見えてないみたいで。
「ドーナツについて考えていた」
「へ?」
 ついでに、対象がやたらと珍妙なおかげで、この上なく面食らった。そういえば、今日の用事と関係が無くもない。どちらかというとそれは脇に置いておくものなんだけど。
「ドーナツとはそもそもなんなのか、一般的には中央部が空洞となっている菓子が連想されるが、本来は『小麦粉に砂糖・卵・牛乳・ベーキングパウダーなどをまぜてこね、輪形などにして油で揚げた洋菓子』の事だそうで空洞の有無はそれほど重要ではない。だが、同時に
『ドーナツ現象』のように、ドーナツに空洞があるものと定義して初めて成立しうる言葉もある。定義は曖昧だが、一般的なイメージの産物として運用される事の多い言葉だ」
 長い講釈が始まった。この馬鹿は長話が好きなのだ。いつものことである。
「『チャイム』なども同様だ。本来は音高を調律した十数本の金属製の管を枠につるし、ハンマーで打ち鳴らす事で音を鳴らす打楽器を指してはいるが、現在は、それに似たような音を出すものならば全てチャイムだ。むしろ、重要視されているものは音であると言い換えても良い」
 まだ続く。大して苦にならない私はなんなのか、いや、分かってるんだけども。
「『土壁』と言う言葉は、文字通り土塗りの壁だが仕上げの土の色で、錆壁等といった別称がある。しかし、予備知識無しでその言葉を並べられて、同じものを指しているとする人間は居ないだろう。一般とはそういったものだ」
 土壁といえば、このお馬鹿が、考え事のために部屋に篭って他人――主に私に迷惑をかけるのは、何となく天岩戸っぽいなぁと考えて、そこで流石に脱線に気が付いた。
「で、ドーナツの何の話なの?」
 さすがに、幾ら馬鹿でも、本線から思い切り外れているのに気が付いたらしくて、少し恥ずかしそうに咳払いをした。
「ドーナツは、一般の定義に当てるとするなら、空洞を含めて『ドーナツ』だ。だがよく考えれば、空洞を含めて考えるのならば、空洞は『あるもの』として考えなければならない。空洞であるにも関わらず存在する。無いのにあるとはどういうことだと考えているうちにこんな時間に――」
 呆れた。そんなしょうもなくもどうしようもない事でほぼ三時間も使えるなんて恐れ入った。で、
「神様でも宿ってんじゃない?」
 私の投げ遣りな返答は、私は怒ってるんだぞ、の意思表示のはずだったんだけど、
 何でこいつは「ああ、そんな考え方もあるか」みたいな顔してるかな。
「確かに、確かに考え方としては有効だ。前提から矛盾している事柄を成立させるなら、そういった事柄を完全に無視できる論理を超越した存在を差し込めば良い。確かに良い考えだ」
 なんかしらないけど
 ドーナツの穴には神様が詰まっている事になった。
「もういいでしょ。時間も時間だし帰る」
 勝手に妙な結論に達して納得している馬鹿を残して去ろうとして、
「ああ、少し待ってくれ」
 引きとめられた。「何?」と思い切り訝しげに返してやると、何を思ったか、立ち上がって、気味の悪いほど整頓された部屋の隅、冷蔵庫を漁る。
「これを持って行くといい」
 そう言って手渡された紙袋の中には――ドーナツが入ってた。
 種類も豊富で、なんとも食欲をそそる。
「元々、これを買いにいく予定だったろう。君に割引券を使わせるのは悪いと思って先に買っておいたのだが、それが良かったな」
――ああ、成程。
 馬鹿だ馬鹿だとは思ってたけど、これほどなんだ。鈍すぎる。
「なんでそれが、ドーナツの空洞の話になるのさ」
「最初にこれを用意したのだが、その、なんだ、君はたまに、よく分からない要求をしてくる。間違っているといけないから、色々考えるうちに、な」
 失礼な話だ。
「しないよそんな事」
「するだろう」
「しないって」
 そんなやり取りを何度か続けた後、私は唐突に「あ、これ違う」と声を上げる。
「欲しかった店のじゃないよ」
 馬鹿が目を丸めて「行きたいと言ってたじゃないか」と言いかけるのを、「もっと美味しい所があるの」と制す。困り顔の馬鹿が
「俺の調べ方が甘かったか?」
 と首をかしげる。
「調べたの?」
「ああ、少々努力した。君の行きたいところでないと意味が無い」
 こんなことをさらっと言ってしまうのは卑怯だと思う。
「私しか知らない店があるの。行くよ」
 半ば強引に手を引いて「今さっき帰ると――」と言い掛けるのも無視して外に出る。




 そして日がくれた。
 美味しい店なんて見つかるはずも無い。まず私の出任せだし。
「無いな。店」
 無感動に呟く馬鹿に、私はヤケクソ気味に返す。
「そうね。ないね。無いよ。ごめんね。もういいから帰るよ」
 我ながら、引っ張りまわしてそれはないと思ったけど、
「やっぱり、してきたじゃないか」
 彼が、苦い顔をしたのに、
「馬鹿」
 とぼやくように返すことしかできないのは多分、私のせいではないはずだ




* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.15 )
日時: 2009/05/28 01:02 メンテ
名前: 小豆龍

 
   『夏と言えば。』

                        
 夏と言えば……。この後に入る言葉は一体何だろうか。
 海と山が代表的だろうか。
海か山かの大論争、どなたも一度は経験がおありだろう。
 ──夏と言えば絶対に海。だって山は蚊がいるじゃないか。山なんて眼中にナイナイだよ。考えられない。
 ──いいや、山だね。木々の緑。美味しい空気。潮臭い海なんて鼻に悪いよ。それに海はクラゲがいて危ない。鮫だっているし。
 ──それを言うなら、海には熊なんていない。
 ──うるさ〜い! 夏と言えば山だ!
 ──いいや、海だね、絶対!
 教室中で山か海かが争われ、海派、山派と派閥が生まれる。しかしきれいに白黒分かれるわけではない。いくつかの少数派がいる。
「夏と言えばハワイだよねー」
 組み込まれるはずの海派からすら疎まれるハワイ派、
「夏と言えばカブトムシだーっ!!」
 女性票が減るという理由で山派から黙殺される昆虫派、
「いや、ここはあえて自由研究だ」
 空気が読めてない、と科学派、
「読書感想文かなあ……」
 それはお前だけだ、と文芸派、
「祭りだ祭りだワッショイワッショイ」
 一人で盛り上がり始める快男児、
「じゃあ、ここは中間で川なんてどうかな」
 唐突に折衷案を出し始める釣り派、
「海寄りの湖がいいな」
 論点をずらそうとするキャンプ派などなど。
 とにかく騒がしくなるはずだ。
「ねえ、先生はどう思う?」
 黒板に数々の『夏と言えば……』の候補が書き連なれる中、生徒の一人が私にそうたずねてきた。
「え、先生も?」
「言いだしっぺは先生だから当然だよー」
 思い思いに意見を交わしていた生徒達は発言を止めている。みんながみんな、私が何と答えるのか注目していた。
「うーん、そうだなー」
 私は窓の外に目をやった。一棟の三階からは校庭を囲むように生えている桜の木が見渡せる。すでに全てが葉桜で、太陽の光を受け葉が緑柱石のように輝いていた。風に乗って蝉の声が聞こえてくる。
「入道雲、かな?」
 私はそう言ってから空を見上げた。あいにく、雲ひとつない快晴だった。
「おお、詩的だ……」
「何か理由はありますかー?」
 生徒達が議論を完全に止め、視線を私に向けていた。何か深い訳があると期待しているのだろうか。
「好きだからだよ」
なんだそれー、と何人かの生徒が呆れたように笑った。
「好きなものは好きなんだ。理由なんていらないだろ?」
 生徒達は口をつぐみ、いっせいに黙り込んでしまった。私は何が起こったのか分からず、ただ瞬きをするだけだった。
やがて私は思い至った。そして後悔した。失言だった。生徒達は自分の『夏と言えば……』を主張し、時間をかけ、相手にそれを認めさせようとしていた。しかし私のせいでそれが無に返ってしまった。
 私は冷や汗をかきながら生徒達を見守った。『夏と言えば……』を提案した私が、自ら今までの議論を無駄にさせる。不条理の何者でもない。生徒達は怒っているだろうか、それとも呆れているだろうか。
「つまりさ、こういう事じゃないの?」
 一人の男子が黒板の前に出てきた。そしてお題として黒板の右端に書いてある『夏と言えば……』の下に何か書き加えた。
『みんなが好きな季節』
 おー、という感嘆と、えー、という疑問の声がおり混ざり教室を埋め尽くした。再び議論が白熱し、あーでもない、こーでもない、と言葉が飛び交っていく。
校庭のセミ達もさらに声を強めていた。


 授業が終わった。幾人かの生徒達はあいさつをするや否や、それっ、とばかりに教室をとびだしていった。教室に残って趣味の話をしたり、本を読み始める生徒もいる。私は黒板の前に立ち、彼らの最終的な結論を何度も何度も読み返した。
「夏と言えば、色々とあつくなる季節……か」
 成程なあ。
 窓の外を鳥の影が横切って行った。鳴き続けていたセミ達は一斉に静まり返る。しかし鳥の目は誤魔化されなかったのだろう。すぐに、ジジジッ! という断末魔が聞こえてきた。
 生徒達の笑い声も聞こえてきた。





【P・S】
ちょっと修正しました
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.16 )
日時: 2009/06/02 03:24 メンテ
名前: 小豆龍

 
  『下駄箱物語』

自分の下駄箱に恋文が放りこまれている状況を、あなたはどう思うか。夢だと疑って頬をつねるだろうか。まさかまさかうっひょ〜、と浮かれ始めるだろうか。それともいたずらだと考えてちぎり捨てるだろうか。
中学一年生の田中太郎はまず夢だと考えた。四月という新年度の始まりから、下駄箱にラブレターなど入っている方がおかしい。学校が始まってから一週間と経っていないのだ。太郎は間違っても一目ぼれされるような風貌ではないし、女子のハートを射止めるような行動もしたことがない。詳しく言うと、女子と口を聞いたことすらない。太郎は自身が夢を見ていない事を確認するために、手の甲に思い切り爪を立てなければならなかった。皮がむけて痛かった。
「どこの物好きだ……」
 自分でそう呟いてしまう悲しさ。
一体誰からだ、と高鳴る胸をおさえつつ、太郎はまず宛名を確認した。封筒の裏には丸っこい字で、確かに『田中太郎君へ』と書かれていた。断じて、同じクラスのイケメン『浅岡将太君へ』とは書かれていなかった。
田中太郎は正に天にも昇る心地だ。
太郎は陶然と、自身の下駄箱の前で天井を仰いで神に感謝した。クラスメイトの男子が、気味悪そうに太郎を避けて通って行った。
太郎は汗ばみ震える手を懸命に操って封筒を破り、中の手紙を取り出した。手紙の一番初めには歌が書かれていた。
春霞たなびく山の桜花見れどもあかぬ君にもあるかな
正しい意味は分からない。でも「ずっとあなたを見ていました」という意味であろうと太郎は見当をつけた。
こんなに教養のある人が、僕に手紙をくれたのか。
太郎は法外の喜びに包まれながら手紙を読み進めていった。中学生の時からお慕い申しておりました。でも声をかける勇気がありませんでした。きっと断られ、嫌われて、目も合わせてもらえなくなるような気がしたからです。私にできる事は精々「いとせめて恋しき時はぬばたまの夜の衣を返してぞ着る」だけでした。
歌の意味は相変わらず理解できない。太郎は心の底からにやけながらも少し憤慨していた。僕はそんなに心の狭い男ではないですよ。誰とも知れぬ手紙の主に優しく諭すように太郎は語りかけた。
 そして太郎は最後の行に目を通した。
『引っかかるお前が悪いんだぞ(笑)滝川大輔より』
 太郎は激しく瞬きをして、もう一度最後の文を読み直した。書いてある事は変わらない。ご丁寧に最後の一行まで丸文字で書かれていた。太郎の頭は真っ白になった。
 教室で、太郎は大笑いしている大輔に蹴りをいれつつ丸めたノートでボコボコに殴った。大輔は涙をこぼしていたが、明らかに笑いすぎた故の涙であった。
 次の日、太郎はまた自分の下駄箱にラブレターが入っているのを見つけた。太郎はそれを読みもせずにビリビリに引きちぎって近くのゴミ箱に捨てた。もう二度とこの悪戯には引っかかるまいと心に決めていた。
 太郎は教室で大輔に問い詰めた。今日もまたやりやがったな、と。
「え、何の事?」
 大輔はきょとんとしていた。




【言い訳】
最近、駄文ばっかりですいません(汗
* 脅迫者 ( No.17 )
日時: 2009/06/25 03:27 メンテ
名前: 小豆龍

  『脅迫者』


 ある手紙が男の元に送り届けられた。その男は特別な男で、大企業の社長であり沢山の金と強大な権力を手に入れている。男の暗殺をたくらむ者も後を絶たないので、何重もの万全な警備が男を守っている。男への郵送物も厳重なチェックが何度も行われ、中身の確認まではしないまでも爆弾やカミソリの存在が確認された手紙はすぐさま処分されているはずであった。
 しかし、朝目覚めると男の枕もとに置かれている一通の手紙。
 いつもなら、秘書が手渡してくれる手紙が、今朝は置いてある。
 一通だけ。
 男はいぶかしみながらも手紙の封を破った。それは日本語で書かれていた。
『拝啓、二十八歳の誕生日を迎えられたクリストファー・ヴィネット殿。
 日本はとっても熱い季節になりましたね。僕の近所の畑では小豆が元気に育っています。最近、ちょっとアブラムシが大量発生しているのが心配ですけれども。』
 ヴィネットは首を傾げた。日本の会社とはよく取引をするのでヴィネット自身も日本語を使いこなす事が出来る。そして日本人の知り合いは多い。しかしこのような内容を手紙にしたためる日本人と知り合った覚えはない。
ヴィネットは読み進める。
『さて本題に入らせていただきましょう。う〜ん、まあ、僕は回りくどい言い方は苦手なので、というか面倒くさいだけなので単刀直入に言わせていただきましょうかね。あ、でもなあ、うーん、どうしようかなあ。大丈夫かなあ。』
 ヴィネットはますます首を傾げた。なんだこの日本語は。ネイティブではないヴィネットにとって、意味を読みとるには少々難しい内容だ。言いたい事はあるが、それをはっきりと言う事を戸惑っているようだ。
『まあ、ぶっちゃけた話、あれですね。これって犯罪なんですよね。うん。僕としてもできればやりたくなかったんですけど、思いついてしまったんだから仕方がない。うん。性ってやつですかね。ごめんなさいねクリストファーさん。』
 まったく日本人の心理は推し量りがたい。ヴィネットは眉間を抑えて少し自分を落ち着かせてからその先に目を通した。
『あなたを脅迫させていただきますよ。』
 唐突な文章にヴィネットは数回瞬きをした。
『ふっふっふ……。僕はあなたの事は何でも知っているんですよ。あなたは昨夜、二百兆円に及ぶ脱税を五年がかりで行ったところですよね。当たりです? さすがにそろそろ止める頃合いだと思っていますよね。で、その脱税の関係者、全員を始末しようと計画中です。違うとは言わせませんよ(笑)ああ、そう言えば、マイケルさんはお元気ですかね? ええ、そうです。あのマイケルさんですよ。まったくクリストファーさん、あなたって人は奥さんがいながら、男性ともやってやられる関係を持っているなんて、なんとも過激なお方ですね。フフン。他の人に知られたら大変ですよね。うぅん、次はどうしようかなあ。あ、あれなんてどうです? あなた十五歳のころ、親の権力に物を言わせてクラスメイト全員とやっちゃったそうじゃないですか。そんな頃から両刀使いだったんですね。驚きです。やられたクラスメイト達も、まさか全員がやられているとは想像もつかなかったでしょうね。ああ、何て悪い人だあなたは(笑)』
 ヴィネットはわなわなと体を震わせた。全てが事実であった。
『まあ、こんな色んなあなたのやった事を黙っていて欲しかったら、いますぐあなたの全精力をあげて地球温暖化防止に努めなさい。ついでに自然環境も守ってください。あ、世界平和にも尽力してネ。あとこれは可能ならの話なんですが、ついでに日本の不景気も直してください。第一次産業も盛り上げてくださると助かりますv』
 ヴィネットは「My God……」と弱弱しく呟く。
『まあ、これだけだとさすがにかわいそうなのでチャンスをあげましょう。まあ、どうせ無駄なんですけれど僕としてはさっさとあなたに言う事をきいてもらってちゃっちゃと済ませたいので。』
 ヴィネットは目を血走らせて先の文章を読む。
『僕の使っている名前の内の一つを教えましょう。あなたほどの権力がある人なら、私の居場所がわかるはずです。では、精々頑張ってください。P・S 僕は日本人です。』
 手紙の最後に、その脅迫者の名前が漢字で書かれていた。ヴィネットは、偽名かもしれない、と考えたがそれでは埒があかないのであえて無視する。ヴィネットはすぐさま電話の受話器を手に取り秘書を呼びだす。
「この日本人を探すのだ!」
 秘書は不思議そうな顔をしていたが、ヴィネットがあまりにも必死な形相をしていたため、その名前を書き写してすぐさま部屋を飛び出していった。


 二年間だ。二年もの間、ヴィネットは脅迫者を探し続けた。まずは日本人全ての戸籍に始まり、韓国、北朝鮮、中国とその範囲を広げ調べ上げさせていく。挙句の果てにネットの海にも飛び込んで行った。多くの人員がその日本人捜索に費やされた。
 しかし、脅迫者が見つかる事はなかった。
 二年もの歳月は、ヴィネットから平穏を奪っていた。月ごとに脅迫者から、ヴィネットの秘密をつづった手紙が届くのだ。内容は一字一句違うことなく正しい。しかもどうやって枕もとに届けられるのかすら分からない。朝目覚めると、そこに置いてあるのだ。


 ヴィネットは自室に戻り叫んだ。
「お前は誰なんだ!!」
 手紙の終わりに書かれている名前に、ヴィネットは息もきれぎれに呼びかける。
「誰なんだ、お前は……」
 その時、目の前に一枚の紙がひらりと舞い落ちた。ヴィネットは天井を慌てて見上げるが、怪しいものはなにもなかった。その紙は唐突に現れ、ベッドの枕もとにぱさりと落ちたのだ。ヴィネットはかけよってその紙を手に取った。それはやはり手紙だった。
『降参して、僕の言う通りしてください。そうすればもう、あなたに干渉はしません。約束します。』
 ヴィネットは涙ぐんで頷くしかなかった。決して脅迫者に勝てないと悟ったのだ。その日からヴィネットは、「My God……」と言わなくなった。


 クリストファー・ヴィネットは死んだ。享年八十。老衰であった。彼は持ち前の財力と権力を使って、世界の全国家を地球温暖化防止計画に参加させた。そして自然環境の保護や世界中の紛争の解決にも乗り出した。結果、地球は温暖化を止め、地球の自然は壊滅の危機を免れた。世界から合法化された人殺しも消えた。
 彼は死ぬ数年前にノーベル平和賞を受賞した。これで彼の会社はノーベル賞の全分野を受賞した事になった。地球の温暖化や自然を守るために、様々な革新的なアイディアや技術を打ち出してきた結果だった。
 クリストファー・ヴィネットの名は、未来永劫、人類の歴史に刻まれることになった。
 

 ヴィネットが死ぬ数日前、ある新聞記者が彼に尋ねた事がある。
「まさに偉業ですよ。三十歳の時に何故このような決断をなさったのですか?」
「いいえ、これは偉業ではありません。全て脅迫されてした事です。私には他の選択肢は用意されていませんでした」
 新聞記者は、え、と目を丸くする。
「二十八歳になるまで、私は沢山の後ろめたい事をしてきました。神は私に手紙を送り付け、言う事を聞かないとその全てをばらすと脅してきたのです」
「イエス様が、という事ですか?」
「いいえ違います」
「では、誰なんですか?」
 ヴィネットは目をつぶり、小声でその名をささやく。
「小豆龍様です」
「アズキリュウ様?」
「はい」
 新聞記者は不思議な表情をして、その場でインタビューを終えた。次の日、世界中の新聞にこんな意味の文章が躍った。
『どんな偉人にも健忘症はおとずれる』

                         おわり






あとがき
『瞬間的に書きあげた。後悔はしてない。推敲もしてない。もう寝る』
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.18 )
日時: 2009/09/10 21:09 メンテ
名前: now

【朝露】

――ザアアア
 地面をうがつ、音、音、音。
 永遠を感じさせる響き。
 静かな呼吸、降りしきる雫。それらが交わり生をえた響き。
 雨がふってるんだ。
 そう直感で判断した彼女は、ベッドの中。
 部屋の薄暗さ、寝返りをうったときに乱れたブランケット、そこから覗かせた肢体。全てのごく微妙な加減はまるで彫刻を思わせ、1つの芸術のように存在している。
 きっと彼女が今の自分の姿を見たら寝相が悪いと恥じるかもしれないが、彼女はまどろみの世界の真っ只中。
 そこは、有るか無いかでしかありえない、単一の世界。
 そこは、心で思った事が全てに直結する、唯一の場所。
 なんてうつくしいんだろう。
 そう思ったのは、未だ眠り続ける彼女の心。
 頭をささえる枕はやさしい。
 顔までかぶったブランケットはやわらかい。
 まぶたが開かないのはおもいから。
 いつまでも、このままでいたい。
 いつまでも……。
 いくつもの浮かんでは消える素直な欲求に彼女は従い、すべてをあるがままにゆだねようとする。
――ザアアア
 何回雨が地面をうがっただろう。不意に彼女の体が震えた。
 原因は背筋をはう寒気。
 理由は体から離れてしまったブランケット。
 雨は全てを洗い流す。洗い流された体は清く、冷たい。
 きっとわたしも一緒に流されちゃったんだ。
 歌うような独白が心の中ではじける。彼女は体を完全に起こしてしまわないよう、できるかぎり緩慢かつ無駄のない動作で毛布をかけなおす。
 これで安心。
 世界で一番安全な場所を確保し、ブランケットの中で縮こまる。そうしたことで、心はふたたびあの場所へ戻ろうとした。彼女以外に干渉することは許されない”夢”の中へ。そして、最後に彼女はもう一度だけブランケットにほおずりをし、思った。
 ここはなんて心地いいんだろう、と。

――――――ザアアア

 雨が降っていた。
 小さな公園。
 透き通る雫がつぶてとなり降り注ぐ。
 雨によって遮られるはずの視界は透明すぎる雫を通して鮮明に映る。
 そこに2人が立っていた。土砂降りの中を、揺らぐことなくまっすぐ。
 立っているうちの1人はベットにいたはずの彼女。
 もう1人は彼女よりも少し背の高い男。
 仲のいい2人はそっと手を重ね合わせ無邪気な笑顔を浮かべている。つなぎ合わせた手をそのままに2人は小さな遊具の間を走り回った。
 錆びて赤くなった鉄棒。
 ペンキがはげたすべり台。
 水を吸って硬くなった砂場。
 鎖が軋む小さなブランコ。
 その遊具達のわきに咲く小さなアジサイ。
 雨の1粒1粒が輝いて見えた。
 雨音も足音も笑い声も、全部が広がり響いてく。

――――ザアアア

 短いようで長い時が過ぎた。
 いつしか2人は立ち止まる。
 それは疲れたからじゃなく、なにか、伝えたい大事な事があったから。
 男が女の肩を掴んで向き合う。
 真剣な顔。熱を帯びた息遣い。
 雨の中とは思えない体の火照り。
 2人の瞳の中に映る互いの姿。
 女の服は体に張り付き、布越しに白い肌が透けて浮かび上がる。男の服も同様だったが、互いにそれを気にする様子は無い。
 
――ザアアア――
 音という音が消え、
 無音。
 瞳。
 唇。
 吐息。
 熱。
 鼓動。
 
――雨――

 口が動いた。
  小さく頷く。

 もう1度動く。
  今度は大きく頷く。

   同時に2人は笑った。


 雨の中で2人の姿は1つになる。
 1つの体で雨を受け止め、2人は笑っていた。
――ザアアアァァァァ…………

 あわい光が優しく私の目を開かせた。
 最初に目にしたのは、遠く感じる天井。視点が合わず、視線が宙をさまよう。見るもの全てが白んでいる。いや、薄く光っているように見えるといったほうが正しいだろうか。さっきまで遠く感じた天井も、今度は手を伸ばせば触れそうなほど近く感じる。
 ゆっくり首を動かすと、ブランケット、もとい毛布がかなりずれている。恥ずかしながら、よく周囲の人に寝相が悪いといわれるのを思い出した。 どうにかならないかなとぼやいて、ゆっくりとサイドボードの時計に目をやる。
 アラーム設定時刻の5分前。
 ゆうしゅうゆうしゅう。
 自分を褒めたらなんだか嬉しくなってきた。
 それに体が軽く動いてくれるのは、早起きによる三文の得とやらの恩恵だろうか。窓にかかる淡色の薄いカーテンをあける。
「っ」
 カーテンの水色に負けないほどの青が空に広がっていた。
 雲の合間からのぞく日の光がまぶしい。
 窓についた雨水が光を幾重にも屈折させ、何かを伝えたがっているようにも見える。
 不思議と、心は澄み渡っていた。
 きっと雨が全部流していってくれたのだろう。
 それともこれも早起きのおかげ?
 わけもわからず自然と顔がほころんだ。
 頭は空っぽなのに、どこか満ち足りたような気分。
 ぼんやりしながら窓の外を眺めていた。
 ふと、家の前の道に見つけたのは人影。
 2階から見下ろした5メートル先にいる彼。
 そのすぐあとに、むこうもこっちに気づいたのか軽く手を上げて左右に振ってくる。やっぱり今朝はおかしい。普段は仏頂面のアイツの顔さえ光を帯びて鮮明に見えるのだ。
 色々なものが綺麗に見えてしまうものだから、私の視線は違う方向へ泳いでしまう。
 彼の後ろ、道の脇、誰にも気づかれないような場所にひっそりと咲いていたアジサイ。見てくれてといわれたわけじゃないのに、その小さな一輪一輪の細部までが瞳に焼きつく。
 たくさんの小さな花が重なって作られる大輪。
 紫の花に滴る水滴が、冷たい朝日を浴びて煌めく。
 そんなアジサイに見とれていたら、あいつが怪訝な顔でこっちの様子をうかがっている。
 いけない、いけない。
 私は急いで手を振って返し、
――これでもかと微笑んでやった。梅雨の朝。

                       了





そんなわけでどうもはじめましてnowです。
特に意味のない、いや本当に意味のない夢オチのお話を書きたくてこんなのが出来上がってしまった感じでございます。
自分でもよくわからない気分ですが、こんな短編も山の賑わい程度になっていただければ幸いです。
では。

9月10日追記
気になる部分があったので加筆・修正しました。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.19 )
日時: 2010/05/08 21:52 メンテ
名前: 魂蛙

笑顔の印象



「この絵、何?」
部屋の隅に立て掛けられた絵を指差すと、彼は両手にコーヒーカップを持ったまま、見事に困った顔になった。眉をハの字にして、首を傾げて苦笑いするその顔が好きで、私はよく彼をからかう。
「誰か有名な人の絵?」
彼は「違うよ」とだけ言ってカップを置く。私の好みに合わせてくれるから、彼が淹れるコーヒーは嫌いじゃないけど、今は絵の方が気になる。私はこたつから這い出して、四つん這いで絵に近付く。
絵を隠す様に積み上げられていた古新聞をどかし、絵の右下に遠慮がちに書き込まれた彼のイニシャルを見つけた。
「絵、描くんだ」
振り返ると、彼は観念して頷いた。
「実は画家志望とか?」
「下手の横好きだよ」
彼は照れ笑いを誤魔化す様に、コーヒーを飲む。
私はそっと絵を持ち上げて、じっと見つめる。
見覚えのある気がする景色。多分、この町の風景なんだと思った。
「どこから描いたの?」
「それは、ここから」
彼はこたつを指差す。
「そこからこんな景色は見えない」
見えるのは、古びた壁と採光窓だけだ。窓から見える景色とも、この絵は一致しない。
「普段は外に出て、気に入った場所で描くんだけど。これを描き始めた時は雨が降ってて、外に出れなかったから」
「想像で描いた?」
言葉を濁したがる彼に敢えて問うと、彼は恥ずかしそうに頷いた。
「なるほどね」
「何がなるほど?」
「公園と銭湯はこんなに近くない」
あと、瓦の屋根の家も多分こんなにない。指摘すると、彼は「そうだっけ?」と笑った。
私は絵を持ったまま、こたつに戻る。やはりコーヒーは冷めない内に飲みたい。
「他にはないの?」
「売れちゃったよ」
「売ってるの?」
「1枚30円」
「赤字」
「商売じゃないから」
彼はまた笑った。
彼は本当によく笑う。普段から笑っているし、嬉しい時にも笑うし、困った時も苦笑いする。普通なら怒るところでも、笑って許してしまう。
きっと、私の仏頂面の反動だ、とこっそり思っている。
「気に入ってくれた?」
彼の顔を見つめるのもなんなので、絵に目を落としていたら、彼が尋ねた。私は正直に答える。
「変な絵」
また笑った。
実際、変な絵だ。遠近感は滅茶苦茶だし、色使いもおかしな具合だし、線だって曲がってる。
「でも、嫌いじゃない」
正直に付け足しておく。彼はそっか、と言ってまた微笑んだ。
「教えて」
「ん?」
「今度絵を描く時は、教えて。私も行くから」
「多分退屈するよ」
「それでもいい」
「分かった。でも、気が向いた時に描くから、いつになるか分からないよ」
それでもいい、と私がもう一度言うと、彼は今度は分かった、とだけ答えて微笑んだ。



本当に唐突だった。「今日、描くよ」とだけ書かれたシンプルなメールで呼ばれたのは、あれから2日しか経ってない週末の朝だった。
それでも彼に呼ばれるまま、私は彼に会いに行った。彼の家でコーヒーを1杯飲んで、それから彼の漕ぐ自転車の後ろに乗せられる。
彼はしばらく無目的に街をサイクリングしてるようだった。
ダイエットなどにはとんと無頓着な私が乗っては重かろうと思い、大丈夫かと訊いてみると、私でもそんな事を気にするのかと笑われた。
折角の気遣いを笑われたので、じっと黙り込む。見慣れた景色もゆっくり流れていくのを眺めていると、なんだか知らない町へ来てしまったような錯覚を覚えた。
町を一回りして満足したのか、彼は町外れの小高い丘に進路を定めたようだ。町をなんとか一望できる、中途半端な高さの丘で、頂上近くにこじんまりとした公園がある。この辺りでは、絵を描くにはまぁうってつけ、といった感じのロケーションだ。
目的地は丘の上なので、当然坂を上る必要がある。これが結構急な坂で、流石に彼も坂道を前に困った声を出す。
「あー、あのさ」
「頑張れ、男の子」
彼の申し出を聞く前に一蹴。彼は苦笑すると大きく息を吸い、掛け声と共にサドルから立ち上がった。
2人を乗せた自転車が、勢いをつけて坂道に入る。私は間もなく来るであろう揺れに備え、サドルをぐっと掴む。
景色が、傾く。



頃合いを見て、降りてあげるつもりだった。いや、本当に。
しかし彼は予想を上回る勢いでもってぐいぐいとペダルを踏み、自転車を進ませた。その背中があまりに一生懸命で、声を掛ける機会を逸してしまったのだ。急に降りたら彼が転んでしまいそうで、タイミングを計っている内に、公園まで着いてしまった。
「頑張った、男の子」
自転車を降りて荒い息をついている、彼の背中を叩いて労ってやる。すると彼は火照った顔を上げて、お菓子を貰った子どもみたいな笑顔で喜んだ。
公園とは言っても、あまり使われているようには見えない、古びた木製の椅子とテーブルが1セットあるだけで、あとは何もない。走り回れる程のスペースもないから、わざわざ坂を登ってここまで来る物好きは滅多にいないだろう。
「じゃあ、描こうかな」
一息ついて落ち着いた彼は、持ってきたバッグを抱えて低い柵を越え、そこにシートを敷いて腰を下ろす。彼の隣に座ると、冷たい風が足元を通り過ぎた。
「寒い」
「はい、どうぞ」
私の文句とほぼ同時に、彼は水筒を差し出した。受け取ってみると、冷えた手にじんわりと温もりが広がる。
「何、これ」
「コーヒーだよ。……もうすぐ、春になる。そしたら、暖かくなるさ。春は穏やかだから」
そんな事は知っているが、コーヒーが暖かかったので何も言わないであげる事にした。
私がコーヒーを飲む間に、彼は絵を描き始める。まな板みたいな下敷きの上に紙を乗せて立てた膝に立て掛け、さらさらと鉛筆を走らせる。
指で作った四角で画角を決めたりとか、そういう絵描きっぽい事は一切しない。技法だとかそういう物は全く気にせず、思うまま適当に描いてるのは、横で見ているだけで分かった。
彼の傍らにあるのは、色鉛筆と絵の具のセット。まるで小学生が使ってそうなやつだ。
そう言ってからかうと、「ただの趣味だから」と彼は笑った。
彼は暫くは傍らの道具を使わず、鉛筆で町の輪郭を描き出す事に集中する。私は絵なんて描かないので詳しい事は分からないが、30円とはいえ売れるくらいだから、まぁ上手いのだろう。
しかし、暇だ。見ている以外にする事がない。声を掛けると、彼は律儀に手を止めてこちらを向くものだから、下手に喋りかける事もできやしない。
「退屈じゃない?」
紙の中に浮かび上がる町の輪郭をじっと眺めていると、彼の方からちょっと不安そうに訊いてきた。私はいつものように、正直に答える。
「暇」
「そっか」
「でも、退屈はしてない」
「そっか。良かった」
描きながら喋るものだから、笑った拍子に線が歪んだが、彼は消しゴムには目もくれない。というか、まだ1度も消しゴムを使っていない。呆れる程に適当だ。
それからもう少し線を書き足すと、彼は鉛筆を置いた。
「さてと、下書き終了」
絵を覗き込むと、最後に書き足したのは彼のイニシャルだった。普通は完成した後の仕上げに書き込む物だけど、私は突っ込むことはしない。
それは、彼が「いつサインを書けなくなるか分からない」からだという事は、私も分かっているから。
彼は腕をぐるぐると回しながら、私に笑顔を向けた。
「じゃあ、ちょっと一息つこうか」
「私は別に疲れていない」
「じゃあ、休憩に付き合ってもらおうかな」
「それは別に構わない」
彼は笑顔で頷き、傍らに置いてあるバッグをごそごそと漁る。バッグから取り出したのは、バスケットだ。留め金を外してふたを開けると、中にはサンドイッチが詰まっていた。見たところ、手作りだ。
「食べる?」
「食べる」
朝食もまだだったから、当然お腹は空いている。私は頷いて、バスケットを見つめる。
しかし、丘の上でバスケット一杯のサンドイッチとは。なんというか、まぁ。
「どうかした?」
「少女趣味」
彼は「そうかな」と恥ずかしそうに笑いながら、ハムとチーズのサンドイッチを私に差し出した。
几帳面な三角形をしたサンドイッチに、かじりつく。
彼の目は感想を求めてるようなので、飲み込んでから正直に一言。
「ハムとチーズの味」
「そっか」
「あと、パンとバターと塩胡椒」
「うん」
「総じて、不味くはない」
彼は頷いてから笑った。
まぁ、他のサンドイッチにしてもそうだけど、どれも具は極めてシンプルだ。不味くなりようがない。
単純かつ丁寧なサンドイッチを、私と彼は暫し無言のまま食べる。コーヒーはまだ温かく、冷たい風もさして気にならなかった。



カップの役割を果たす水筒のふたは1つしかないから、コーヒーは回し飲みせざるをえない。無駄に遠慮する彼にカップを押し付ける。
「仕事はどう?」
まだ遠慮してるのか、ちびりとコーヒーを飲む彼に、私は訊ねる。
厳密には仕事ではないのだが、他に呼びようもないので、私はそれを仕事と呼んでいる。彼は責務と言っているが、彼には何の責任もないので、その呼び方は嫌いだ。
「最近、また大変になってきたかな。でも、何とかやれてるよ」
知っている。
私が訊かないと何も言わないから、詳細を知っているわけではないけれど。でも、出会った頃よりもやつれた彼の顔を見れば、それくらいの事は分かる。きっと、服の下には出会った頃より増えた傷痕があるのだろう。
「辞めればいいのに」
「……辞めるわけには、いかないさ」
彼の答えに、私は思わず顔を上げてしまった。
私は、何度も同じ事を言ってきた。その度に、彼は「辞められないよ」と同じ答えを返してきた。
しかし、今日の答えは「辞めるわけにはいかない」だった。「辞めたい」のに「辞められない」彼が、「辞めるわけにはいかない」と言った。つまり、今彼は自分の意思で仕事をしている、という事だ。
「どうしたの?」
「……別に、何でも」
「そう?」と首を傾げる彼から、顔を背ける。丘から見下ろす町は、やはり瓦屋根の家は絵程に多くはなかった。



下書きが終わると、彼は絵に色を付け始めた。
彼は色作りに物凄く時間を掛ける。あの安物の絵の具を、少しずつ混ぜては町を見下ろし、また違う色を混ぜてみる。そうやって出来上がった色で屋根を1つ塗り、次の色作りにまた頭を悩ませるのだ。
そんな調子だから、彼の絵はいつまで経っても完成しなかった。何日も、何ヵ月も、彼は同じ絵に筆を入れ続ける。日毎に一体何が変わっているのか、一度塗った箇所を塗り直したり、鉛筆で線を書き足したりしていた。
彼の絵は、格好付けて言ってあげるなら印象派だ。彼は、彼が見る世界を彼の見えるままに描く。だから、紙の中に描かれる町は、何度塗り直されても私の目に見える色をしていない。彼の絵は、彼から見た世界その物だ。
日に日に違って見える世界の、その些細な変化をも描き出そうと、彼は色作りに悩む。そんな彼の隣で、私は彼の目に映る世界を覗き込む。
そうする内に彼と会う頻度、それはつまりそのまま彼が絵を描く頻度は減っていった。それでも彼の絵は少しずつ色鮮やかになり、そして彼はやつれていった。



穏やかな春が終わろうというその日、筆を置いた彼は唐突に言い出した。
「この絵、預かってもらえないかな?」
「どうして」
「もうすぐ、梅雨だから。うちのアパートは湿気がひどくて、絵が痛んでしまうんだ」
それは、半分は嘘だ。嘘だと分かったけど、指摘はしない。
「でも、まだ完成してない」
ずっと見てきた私には、それくらい分かる。まだまだ描き足したい所が、沢山ある筈だ。
彼は眉をハの字にしながら頷く。別にからかったわけではないのに、そんな困った顔をされたくはなかった。
「うん。やっぱり未完成品じゃ駄目、かな」
「別にいい、けど」
けど。その後の言葉は出て来ない。彼は「ありがとう」と言って笑った。
彼は筆を取り、また絵を描き始める。いつもよりも一生懸命に描いた絵は、いつもより大きく完成に近付いた。
その日の別れ際に、私は未完成の絵を受け取った。



そして、彼は消えてしまった。
死んだという話は聞いていない。亡骸も、骨の欠片さえ残さず、文字通りに消えたのだ。
水害が出る程長く続いた梅雨が息を切らした様な、久しぶりによく晴れた日だった。
私は彼のアパートを訪れて、アパートの大家から「彼はいなくなった」とだけ告げられた。私はただ頷き、処分されそうになっていた彼の私物を受け取り、アパートを後にした。もう、二度と訪れる事はない。
家へ帰った私は、2つ重ねた段ボール箱をテーブルに乗せる。その隣には、未完成の絵がある。
薄暗くても明かりを点ける気は起きなかった。むしろカーテンをしっかりと閉め切り、外の世界からこの部屋を切り離す。
私は段ボールの封を解き、見馴れた絵の具のセットを中から取り出す。水を入れたコップを持ってきて、パレットと筆を持つ。
彼の絵を、完成させるのだ。
私は色作りに迷ったりしない。ただ1色、彼が今見ているであろう世界の色を絵の具セットから取り出し、パレットに乗せる。水を含ませた筆で絵の具をかき混ぜ、私は未完成の絵に色をつけ始めた。
絵の具を取り、瓦の屋根に塗る。絵の具を取り、空に塗りたくる。絵の具を取り、彼のサインを塗り潰す。
私は筆を振り回し、ひたすら塗り続けた。
大した時間も掛からずに、未完成だった絵は遂に完成した。もう如何なる色も、この絵に塗り足す事はできない。
私は完成した絵を、目の前まで持ち上げる。視界を覆い尽くす1色。こんな世界に、彼はいるのだろうか。
行ってみれば、分かる。
ふと、そんな考えが頭を過った。或いは、ずっとそのつもりだったのかもしれない。だから、ポケットにライターが入っているのだろうか。
私はもう1つの段ボールの封を解き、中身を床にぶち撒ける。多くは彼の衣類だった。
山になった衣類の上に、完成した絵を乗せる。ポケットから取り出したライターの火を点け、完成した絵に近付けると、火は生乾きの絵にも意外と早く燃え移った。
完成した絵が、彼の世界が、灰になる。これは、骨1本残さなかった彼の遺灰だ。
そして私も、もうすぐ灰になる。
炎は徐々に広がり、薄暗い部屋を黄昏色に染め上げる。
揺れる明かりが、絵の具セットが入っていた段ボール箱の中を照らし出す。その底に、見慣れないスケッチブックがあった。
全部売れたなんて言って、まだ隠してあったのか。だったら、これも灰にしなくては。
そう思い、私はスケッチブックを取り出して、燃えやすいようにと開いた。
そこには、女が描かれていた。ページを捲ると、頬杖をつく女、女の横顔、全身像を描いたものもある。どれもモデルは同じだ。線の1本1本から色使いまで、どの絵も見て分かる程とても丁寧に描き上げられている。
あまり彼らしくない写実的な絵だけど、絵には間違いなく彼のイニシャルが書き込まれている。
それは彼が描いた、私の絵だった。私はやっと気付いて、改めて彼が描いた絵をまじまじと見つめる。
モデルをしてあげた事など、当然一度としてないので、これは想像で描いた物なのだろう。私が初めて見付けたあの絵の様に。
しかし、やはり彼の絵は、印象派の適当な絵だ。写実的などとんでもない。
彼から見た私は、こんな顔をしていたの?
彼といる時の私は、こんなに幸せそうだった?
彼の世界で私は、こんな風に笑っていたの?
でも、だって、私は泣いている。スケッチブックを抱き締めて、ぼろぼろと涙を溢して、みっともないくらいに大きな声を上げて、泣いている。



外の世界では、梅雨が最期の力を振り絞っていた。

‐了‐







あとがき
何なんでしょうね。やりたい放題でやった挙句、一体何を書いたのか、書いた本人もよく分かってない始末。きっと一人称形式の独白による内面描写の習作。今決めました。
思い付きオンリーな短編なのでキャラ構成を深く練ってはいませんが、一応ネタバレというか補足というか、そんな感じの知らなくてもいい裏設定を1つ。
「彼」はいわゆる1つの変身ヒーローの類です。割とダークでグロめの。イメージ的には顔の造詣が「キシャーッ」って感じ。
「彼」がまだ「仕事」を始めて2ヶ月くらいの頃に、「仕事」の最中に「私」が出くわしたのがきっかけであんな関係になりました。その辺の話をバトル交えて書けば良かった、と今更ながらに思わないでもありません。
変身ヒーローとヒロインがキャッキャウフフするだけの、戦いの合間のオチのないお話を書こうと思ったのですが、仕上げてびっくり何じゃこりゃ。もっとこう、爽やかな感じのお話になる筈だったのですが。
オチのないお話にオチをつけようとしてお話そのものが堕ちちゃったよ、というそんなオチは別に欲しくなかった。
てな感じで、ギャグとバトル以外のジャンルで書こうとすると、途端に迷走する蛙がお送りしました。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.20 )
日時: 2010/01/18 14:29 メンテ
名前: now



 【白クロシロ黒】



 おれは、ねむい。
 いま、何時だ。
 時間の感覚はない。
 弁当を食べたところまでは覚えてるから、たぶん午後。
 日頃「開いてるのか?」とよく聞かれる目が教室に入ってきた教師を見た。目が悪いから目を細めるクセがあるせいもあるだろう。それでも、普段から開いてるようには見えないらしい。もちろん、眠いからだと思う。
 授業が始まり、俺は筆箱をあさった。メッシュ素材の青い筆箱の中にはもうしわけ程度にシャーペンが2本、ボールペンが2本、その他が数本。全部拾ったものか貰ったものかパクったもの。自分でお金を出してて似れたものは1つもない。いや、正確に言えば、筆記用具は買ってない。俺が出したいものは、筆箱の中でしっとりとした感触で俺の手におさまった。
 小型のミュージックプレイヤーのボタンを筆箱の中で無造作に操作する。ボタンだけのプレイヤーだから実物を直接見る必要がない。
 どうりで昨日見つからないわけだ。昨日からずっと筆箱に入れっぱなしだったのだ。昨日の帰り道、プレイヤーがないことで少し困ったことをついさっき思い出した。
 カチッ。
 プラスチック特有の安っぽい動作音が響く。このプレイヤー。英世2枚で買ってもお釣りが500円玉できてしまうところに問題がある。断言しよう。かなりいかがわしい。
 響いた音はクラスのざわめきに圧倒されて身を縮める。
 教師は教師で、クラスの中で一番離れている生徒を気にするわけもなく、ただ自分の職務をまっとうしていた。NHKのナレーターみたいな声と一緒に、チョークが黒板を叩く音が聞こえる。
 その音は音楽じみてる。どこか現実味のない、外国っぽい雰囲気。
 でも、俺が聴きたいのはそんな音楽じゃない。
 黒いプレイヤーのスイッチが入ったことを確信し、白いイヤホンを遠慮がちに伸ばす。前の生徒の背中に隠れ、イヤホンを左耳につけた。
 音楽が流れてる。何の曲か理解するまで、5秒かかった。曲の選択機能が無い俺のプレイヤーは、聴くという方法以外で曲を識別する術が無い。曲順も自分の意思で選べない。それを知った友人はヤバイを連呼するけれど、買い換える気は一向に起きなかった。そういう選択肢が少ないことは俺にとって好都合。面倒なことは考えたくもないし、選んだことによって後悔もしたくない。それならば、受け入れてしまうほうが楽なんだ。それは眠気と一緒で、一度寝てしまえば起きようとは思わないようなもの。結局、考えるのは面倒なんだ。
 音数の多い、ロック。雨のようなギター、ぼやきに近いヴォーカルの発声。うるさいという感想すら、今は眠気を誘うエッセンスでしかない。つーか、このヴォーカル、ほんと、つぶやきシローかって思うぐらいやる気がない。
 両腕で筆箱を覆うように腕を組み、左頬を筆箱のメッシュ部分の柔らかいところにのせて目をつぶる。
 この瞬間、自覚する。
 スイッチが入った。
 汚い上履きを履いたつま先から頭の先まで、ありとあらゆる部分にいきわたる【気だるさ】
 それはまるで麻薬のように俺の体を侵し、心を鈍らせていく。
 ああ、気持ちいい。
 なんて魅惑的なんだろう。
 なんて惰性的なんだろう。
 この泥沼みたいな心地よさを知ってしまった以上、俺が抜け出すことはないだろう。
 だって、抜け出すのは面倒だから。
 左と右、別々の音楽を聴きながら俺は沼の奥深くへと沈んでいった。現実と夢の境に俺はいる。
 ここが境界だ。
 音楽が終わり、プレイヤーがノイズを生む。百円均一のイヤホンがその音を俺の耳に届ける。続けざま、止まった心電図のような電子音。
 変わる。
 曲が変わる。
 生まれ変わる。
 この瞬間をもって、この黒い箱の存在意義を賭けた生まれ変わりが始まる。
 1音。
 復活の1音。
 次の、たった3分間の復活のために紡ぎだされた初音は鋭く俺の耳に切り込んでくる。
 ギターに続く、軽快なキーボード、鍵盤が踊る。
 雑音の多い声。たとえるなら、二日酔いオヤジ。
 ――目覚める、新しい一日、俺は生きている。ラジオでニュースを聞く。――
 そんな感じの和訳だった気がする。
 俺が目覚めるのは一体いつになるだろうか。そもそも、俺は寝ているのだろうか。
 夢か、現か、それとも?

 ――Almost another day.――

 ここは境界だ。

 しばらくして、プレイヤーの心臓が止まる。
 ノイズ、心拍停止、電子音、ノイズ、復活。

 落ちる、
 堕ちる、
 どこまでも、
 どこまでも、
 現実から、
 幻から、
 落とされる、
 堕ちていく。
 ここは、
 どこだ?


 体が痙攣した。
 境界を踏み外したらしい。
 ぼんやりと残る、落下の残渣。
 右耳から現実が聞こえる。
 左耳から夢が聞こえる。
 一瞬浮き上がった体は泥だらけだ。
 それだけ認識すると、世界は再び混ざり始める。
 夢と現が混沌として交じり合う。
 どこからが夢で、どこからが現実なのかわからない。考える必要もない。無駄なことはしたくない。単一の思考が、俺を境界へ連れていってくれる。ただ、それだけ。
 また、ここへやってきた。
 体は泥。心も泥。動かない、動けない。動きたいとも思わない。
 ――ノイズ。
 ―電子音。
 復活。

 柏手を連続で重ねたような音が響く。いったい、どうやったらこのパーカッションはこんなリズムになるのだろう。不可解だ。理解する気もないのだけれど。本能だけが、刹那的に浮かんでは消える。
 軽快に、情熱的に、重なり合うリズムはその打音を増していく。
 ――俺もまぜろよ。
 突如、乾いた音がうるおう。
 打ち手という精神に、ピアノという魂が注ぎこまれた。
 風が巻き起こる。
 作業的な動作で、頭の中に情報が現れる。
 この曲のタイトルにふさわしい、荒々しくも力強い構成だ。
 この国にしか吹かない風。
 俺の全身を吹き飛ばしてしまうほどの、

 【台風】
 
 
 風が吹き荒れる。
 泥沼に沈んだはずの俺の心が洗い流される。
 空へ渦を巻いて駆け上がるメロディー。
 背筋が痺れる。
 これ以上なく爽快で、刺激的。
 ここには惰性も魅惑も存在しない。
 思わず口元をゆがめた。口の端が釣りあがっていくのが分かる。
 ここだ。
 心が一歩踏み出す。
 この瞬間のために俺は生きてる。
 体が二歩踏み出す。
 ここにくるために俺は生きてる。
 現実でも、夢でもない。
 現実半(なか)ばにして夢半(なか)ば。
 現であって現でない、夢であって夢でない。
 曖昧だけどハッキリとした一本の線がある。

 これこそ、境界だ。

 脳内に吹き荒れる風。
 血管を通り過ぎていく風。
 背筋をなでる風。
 まぶたをあけさせない風。
 眠りへ落とさない風。

 その風の前では、ありとあらゆる選択肢は排除される。
 受け入れることだけが絶対。
 もとより、抗うつもりは微塵もない。
 笑いたい。泣きたい。叫びたい。黙りたい。
 笑わせたい。泣かせたい。叫ばせたい。黙らせたい。
 この矛盾しきった感情はなんていうのだろう。
 言葉に出来そうで、言葉に出来ない。見えるけれど、手の届かない感情。
 それだけが、今、俺の中で渦をまく。
 その生みの親が、境界。
 俺がしがみつく、境界。
 もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、もっと、――!
 狂喜じみた歓喜の詩。
 それが繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し、、、、、、



「                          」
                        。
「                            」
                         。
「                          」
                      。

「起きろバカ」
 人を罵倒するのと同じ言葉の音で叩かれた。
 うっすら目を開ける。
 ぼやけた視界にうつるのは、誰だ。
 頭を起こそうとして、一瞬ためらう。
 ――イヤホン――
 そっと腕だけを動かして見えないようにイヤホンを筆箱にしまう。
 そうしてから顔を上げた。
 頬が痛いのは、きっと筆箱のメッシュが食い込んだからだろう。
「ほっぺあみめになってるぞ。起立かかってるから早く立てよ、ホームルーム終わったんだぞ。帰れねーだろ」
 眠い頭に単語が理解できるわけがない。
 ただ、帰れると言うことは直感で理解した。
 まってました。
 さっさと帰ろう。
 帰って、なにをやるでもなく一日をこなそう。
 全部、流れ作業だ。
 気づけば終わってる。
 寝ながら観る夢。
 おきながら観る夢。
 たいした違いはないだろう。
 ならおれはいつだって夢観てる。文字通り、夢観る少年なのだ。
 立ち上がって、一度目をつぶる。
 空はきっと、青いんだろうな。
 想像の空は真っ青。
 それならば、今日は絶好の帰宅日和。
 だらだらと惰性で友達を待って、帰るのだろう。
 なんでもないことが、とても重要だ。
 この惰性で俺は生きている。
 惰性がなければ、今きっと、俺はここにいない。
「きをつけー」
 時間の感覚はない。
「れーい」
 いま、何時だ。
「さよーならー」
 おれは、ねむい。

          了



どうもお久しぶりです。nowです。
ただいま大絶不調な、というか風邪です。
頭痛いですが、割と暇なもんで1つ書きました。
ですがこんなのかいてたら本当に眠くなったので寝ようと思います。
ではでは。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.21 )
日時: 2010/01/20 17:45 メンテ
名前: 小豆龍


『石と銀狐の時間』


 ぽつんとたたずむ石にとって世界とは、一年で色が入れ替わる草の丘と、月ごとに流れが変わる白い雲と、一日に千変万化する空だった。
「やあ、おはよう」
 そこに、銀色のキツネが加わったのは、つい最近の事だ。
 石はず〜っと昔の地震によって、お天道様の下に出てきた。長い間、ぼうっと空ばかり見上げてきた石にとって、銀ギツネとの交流は新しい発見ばかりだった。
「やあ、今晩は」
「ご機嫌いかがかな」
「今日も平和だね」
 狐との会話。
銀ギツネと出会ってから、石は空を眺めるのを忘れた。一日中何度も銀ギツネの言葉を反芻した。昨日の言葉を思い出し、今日の事に胸を躍らせ、明日の言葉を思い描いている。


ある日の事だ。
石は不思議に思った。何故この銀ギツネは、石に声をかけていくのだろうか、という事だ。
石にとって、動物とは目の前を通り過ぎていく物体に過ぎない。動物にとっても、石はどこにでもある物体の一つに過ぎないはずだ。何度も蹴飛ばされた事がある石は、強くそう信じていた。
「僕は変わり者なのかも知れない」
 銀色のキツネは言っていた。
「僕は、石と話した事は君としかない。他の石は何を言っているのか分からないんだ。でも君の言っている事なら、何となく分かる。不思議な事だ」
 石にとってもそうだった。どうして彼と自分は通じ合っているのだろうか。石はぐるぐると思考を回していたが、何をかき回しているのかすら突き止めることができない。そんな事もあるんだろう、と、とりあえず目の前の事実を受け止める事にした。
「僕もそう思う事にするよ」
 銀ギツネが言う。
 とっても不可思議な事だという事は分かった。
 またまたある日の事だ。銀ギツネが口の周りを赤く染めて何かを運んできた。銀ギツネは運んできたそれを石の前に置く。それは長い尾を持っていて、茶色の毛並みを血でぬらしていた。顔は醜く歪んでいて、濁った黒い目が恐怖で見開かれていた。
「これはネズミというものだ。僕が食べる物の一つだよ」
 石は興味深そうにネズミを見た。ピクリとも動かない。動物は動く物なので、動かないこれは植物なのだろうと石は思った。少なくとも岩石ではない。
 銀色のキツネは真っ赤な舌を見せて笑った。
「このネズミも僕と同じ動物だよ。僕が殺したから死んだのだ。動物は死ぬと動かなくなるんだ」
 不思議な事もあるものだ。では、昼夜問わず動いている雲はどうなのか。
「さあ。言葉が通じないから分からないなぁ」
 言葉が通じれば分かるのだろうか。
「それも分からないなぁ。僕は君と話しているけれど、石の事をまだ少しも理解した気がしない」
 それは石も同じだった。石は銀ギツネが動物である事は分かっていたが、他にはどんな動物がいるのか、と聞かれると、分からないと答えるしかないのだ。食べるとか、排便するとかの習慣も、銀ギツネが実際にやって見せたのでどういうものなのかは分かったが、何のためにしているのかさっぱり分からなかった。
「分かり合うというのは大変だねぇ」
 銀ギツネが言っていた。
その夜。まるで天がひっくりかえったかのような土砂降りの雨が降った。川が氾濫して、石がいる丘も大量の泥水に巻き込まれた。石は沢山転がって、気がつくと見たことも無い場所にいた。
 銀色の狐と会えなくなり、九百九十五年が経った。
 四足歩行の動物がいなくなり、二足歩行をする動物が沢山やって来た。
 洪水の後、見あげるように育った木々は灰色の摩天楼にとって変わられていた。
 石はまた銀ギツネの事を思い出しながら一日を過ごしていた。銀ギツネが死んだかも知れないという事には気が付いている。動物には寿命があるのだ。石は銀ギツネに会えなくなってから、様々な動物の死を目撃して来た。今も目の前で動物が一つ、鉄の塊に跳ね飛ばされて死んでしまった。九百九十五年のどこかで、銀ギツネもあんな風に動かなくなってしまったのだろうか。
 石はまた用もなく空を見た。銀ギツネはもういない。会えないのなら、忘れてしまった方が楽ではないか、もう思い出すのは止めてしまおうか、そうした方が楽なのだろうか。
 ふと石の視界を影が覆った。
 それは二足歩行する動物と同じ姿をしていた。その動物は対向性の親指を使って石をつまみ、自分の目線まで持ちあげた。そして目を細めた。
「やあ、本当に久しぶりだね」
 石は首をかしげた。銀ギツネを思わせる動物だ。
まるで石の考えが分かると言うかのようだ。確かに二足歩行の動物は時々、まるで石と話せるかのようにぶつぶつ呟く事があるが、誰もかれも一方的で、石の話など聞きはしない。
「大丈夫だ。僕には分かっている。信じられないかもしれないけどね。僕もまだ信じられていないくらいだから」
 石はまだ眉間にしわを寄せていた。銀ギツネみたいなしゃべり方をしているが、やっぱりどう見てもこの動物は、そこらへんに沢山いる二足歩行する動物だった。
「動物もね、百年も二百年も生きる事があるって事が、実は君と別れてから分かったんだ。見てごらん、人間に上手く化けているだろう。君には敵わないけど、僕は千五年も生きているんだ。」
 石は彼の言っている事がよく分からなかった。以前に銀ギツネが言っていた事と違い過ぎる。でも目の前にいるこの動物は、まるで銀ギツネと石との会話を見てきたように語って聞かせた。
しかし石が気になったのが、ニンゲンとは何の名前だろう、という事だった。
「あっはっは。君は本当に自分の事しか知ろうとしないなあ。いいさ、これからゆっくり僕と話していけば。あの時と違って、時間はたっぷりあるんだしね」


 腰までとどく長い黒髪の男が、道端に座り込んだと思うと地面に向けて何やらぶつぶつ呟いていた。やがて満面の笑みでうなずくと、石をポケットの中に入れ立ち上がる。足を軽く弾ませて、雑踏の中に溶け込んでいった。





【相談事】
どうもお久しぶりです。小豆龍です。
出そうとすると重なるものなんですね。
まあ、それはともかく、これは部活で『時間』をテーマにして書いたものです。で、色々な感想をいただいたんですが、うん、総合的に見ると、どうも不思議な評価をもらったので(腑に落ちる物もありましたが)、こちらでもちょこっとでいいから何か言ってもらえたらなぁ、と思って投下させていただきました。

あぁ、人間が上手く書けるようになりたい。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.22 )
日時: 2010/01/20 23:10 メンテ
名前: ざ・T(♂)

雨の日



――しとしと。

濃い灰色と、灰色がかったしろい部分が、全てを押さえつけようとしながら喧嘩をしている。そんな日曜日。
群青色の屋根の下で、窓に手をついて外を眺める。
どうもやる気が起きない。憂鬱でしかたがない。

窓のムコウガワは――何処までも灰色で、群青色で、
目線を下げれば、ちょうど黒と白が5:5で混ざり合った完璧な“灰色”が目に入る。――憂鬱だ。

「ハァ……。」

目を伏せ、こころの底から黒いモヤみたいな、それでいてふわふわしているイメージの空気を吐き出す。
何か、物足りない。 充実していない。 満ち足りていない。

でも、どうでもいい。

私のショートな金髪も、ただ垂れ下がっているだけの飾りにしか――でも、自分の体の一部であることをしっかり反映し、暗く陰って見える。

今一度、目線を窓のそとで旅させる。

――石畳の上を黄色い六角形が通り過ぎてゆく……これは良い。

そうだ、偶には雨の街中を散策するというのも悪くはないだろう。
なぁに私が消えたことを誰かが心配始めても、きっと兄様(あにさま)がなんとかしてくれる。
服も変えよう。
以前何度かこっそり抜け出していたころの、薄汚く――思い出がつまったあの服をまた着てみよう。
――そして、思いっきり、走ろう。

……そう思ったまではよかった。
少しばかりやる気を出し、自分の足でしっかり立って右手でガッツポーズをとったタイミングで――

コンコン。と。

――ドアをノックされたのだ。
すぐさま手を下ろし、置いてあった椅子に深く腰掛ける。
一拍おいて、入ってくる母様(かあさま)。

「――×××ちゃん、今日は冷えるから、窓から離れていなさい。後で暖かいスープをもってきますからね。」
「はい。母様――。」

どうやら、純粋に娘の身を案じていたらしい。
――鬱陶しい。だが、ありがたい。――立場が同じなら、どんな地域の者でも、このような感情をいだくのだろうか――?
ふと、そんな疑問があたまをよぎった。

――でも、

「ハァ……。」

やっぱり、どうでもいい。

「どうかしたの?」

母様が心配そうな顔を向けてくる。

「いいえ、別になんでもありません。」
「そう……。」
「……。」
「……。」

沈黙ばかりが過ぎてゆく。

「――母様。」
「なあに?」

私から、沈黙を破る。

「雨、やみませんね――。」
「雨、やまないわね――。」

「今日一杯、降り続くでしょうか――。」
「一日中、降り注ぐでしょうね――。」

「スープは、何をベースに作ってるの――?」
「体が芯から暖まる、カルガモのシチューよ。」

「それは、スープと一緒にしてよいのですか――?」
「いいじゃない、液体ですもの――。」

「できあがりまでは、あとどのくらいですか――?」
「もう半時は煮込みたいわね――。」

「そうですか――。」
「そうよ――。」

「……。」
「……。」

再び、会話が止まる。

今一度窓の方を振り向くと、その先ではまだ雨が降り続いていた。

――しとしと。

――しとしと。と。

部屋の扉の反対側から物音が響くと同時に、母様の注意が逸れた隙を突いて。
服の下に、小汚い服を隠す。

そして――。

「母様――。」

「なぁに?」

「ちょっと、顔を洗ってきます。」

「そう――。」

私は、部屋から抜け出した。


今は使われておらず、鍵もかかっていない倉庫で服を着替える。
さっきまで着ていた服は、棚の上に隠して。

外の気配をじっくりと探ってから、顔を出す。

白い傘の持ち手の部分を握り締め、部屋を後に。

うろついてるかも知れない兄様や、母様に気づかれないよう、気をつけて玄関の扉をあけ、
体をぎりぎり通過させられるだけの幅まで開くと、そっとすべり出て、ゆっくりと扉を戻す。

――そとの空気を、思いっきり吸い込む。 ……これはなかなか良い気分だ。

まるで、私のからだそのものが灰色になっていくような、そんな不思議で寂しげで……不思議な感覚。

傘を開いて、歩き出す。


――コツコツ、コツコツと足音をたてて。灰色の上を歩いていく。

……

……

……雨がゆっくりと降り注ぐ

……両脇に民家が立ち並ぶ裏通り

……灰色の空を見上げて

……閉じられている露店が列をつくる表通り

……息を吐き出す

……誰も居ない公園

……もやの色は、しろ。

……

……

――そのままひとしきり歩き、雨の日を十分に満喫した。

偶にはこういう日がないと、やっていけない。
でも、もう一つだけやりたいことが――。


――私は傘を閉じる。

右手で逆さに持つと、そのまま雑貨屋の雨どいの下から出て、雨の中へと歩き出す。

――なんの防雨も考えず、雨に頭からつかりながら

――そして、走り出す。

――顔にぶつかる雨も、髪にしみこむ雨も、服を濡らす雨も、私の蒼眼にさえ入らなければ心地良い。

――どこまでも走ってゆける。 この雨の中、走ってゆける。

――私は、 雨の日に吹く風になった――。





「おかえり。」

「ただいま。兄様。」

再び服を着替え、暖炉の前で髪を乾かしていると、兄様に遭遇した。

「雨の街は楽しかったかい――?」

「ええ――とても、楽しかったです。」

――バレている。それも完全に。

「母さん、心配してたぞ?」

「そうですか――。」

「ま、楽しかったんならそれでいいや。」

「――どうも。」

そうして、兄妹そろって微笑みながら、
母様の運んでくる“スープ”を心待ちにしている、ある雨の日の午後の暖炉前。
薪がパキリと音を立てて、軽くくずれた。





あとがき

なんか雨が降ってたんで、気分のままに書き殴ってみますた。
イメージ的には、没落しちゃったけど、それほど酷くも無い貴族とかそんな感じ。多分。きっと。
雨の日って、頭の中が自分でも理解できなくなります。……よね?(何
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.23 )
日時: 2010/10/04 19:20 メンテ
名前: エアヘッド

 ネクスト固有の機能として位置づけられているものの一つにプライマルアーマーがある。
 これは周辺に供給したコジマ粒子を安定還流させることで力場を形成し、これによって弾体の質量および保有推力を減衰させるというもので、特に実体弾に対し高い効果を発揮する。また急加速時の空気抵抗からネクスト本体を守るという役割も担っており、ネクストのもう一つの優位性としてあげられるクイックブーストやオーバードブーストによる機体の音速域への到達に欠かせない要素でもある。




 ネクストにはオーバーテクノロジーの類は一切用いられていない。耐久面での数値は既存の人型兵器(ノーマル)と大差なく、生命線である機動力においてもクイックブーストやオーバードブーストなどの非継続的な部分を度外視すれば、彼我の数値差は正常かつ常識的な延長線上に位置している。そしてこの差は機能面・効率面での選択的な限定性に基づくものであり、技術的な問題としての性質は皆無といって良い。
 無論これらはコジマ技術の恩恵を受けることになるため、実際には両者の差はさらに広がることになる。それでも「圧倒的」との評価に値するほどの数値ではない。
 そもそもコジマ粒子を拠り所とする先端技術も、当時としては革新的であったが、現代においては、ネクスト以外の多くの兵器がその恩恵に授かっていることを鑑みれば、それのみを根拠にネクストの特異性を論じ得るほどの固有性はもはや失われていると判断してよい。アームズフォートなどはその典型例で、総合的な性能面ではネクストの数倍、機種によっては数十倍近い数値を示している。カタログスペックのみを考慮すれば、つまり理論上は、ネクストは戦略的規模の兵器群や中位以上のアームズフォートに比肩する可能性を与えられていない。




 一七〇〇時、ロロ砂漠を行軍中のグローバル・アーマメンツ社の多脚型アームズフォート二隻と、それを護衛するノーマルの一個大隊が敵対企業の依頼を受けたネクストの襲撃を受けた。戦闘は三分間継続。この戦闘によってグローバル・アーマメンツ社側はアームズフォート二隻とノーマル部隊の六〇パーセントを失った。




 ネクストとの交戦を経験した兵士の「亡霊を相手にしているようだった」という証言は、ネクストの戦闘を記録した映像から得た私の直感的な印象と高い親和性を示している。
 映像の中のネクストはまるで実体をもっていないか、あるいは異なる次元に存在しているかのようだった。銃弾はすり抜けるように何もない空間を通過し、そしてネクストは数十という敵対勢力の中をそこがカジュアルな空間であるかのように悠々と通過していった。
 無論ネクストは亡霊などではないし、そもそも私は亡霊を信じてはいない。しかし戦場という主観的事実の比率がきわめて高い場面において、当事者がネクストを形而上の存在であるかのように錯覚することとその感性を私は否定しない。
 私の見た記録においての両者の戦力差は、数値にすると一対三五ほどであった。無論これは数量差ではなく純粋に戦力面での差を示したものであり、つまりいうまでもないことだが一方がもう一方に対し単純に三五倍の優位性を有しているということになる。
 しかし実際の戦闘では三五の側が甚大といってよい損失を出し、一であるネクスト側の取得した被害は銃弾による擦過傷が右肩部と右大腿部にそれぞれ一のみという、およそ非現実的な値が算出された。
 ネクストと交戦した部隊の主戦力であったノーマルの標準装備である五五ミリサブマシンガンは秒間一五の殺傷力の発揮を可能としており、これは同兵装を五〇〇メートルの距離から射撃し全弾命中させた場合、リロードによるタイムロスを考慮し、かつプライマルアーマーによる威力の減衰を考慮に入れれば約二七秒で、考慮に入れなければ一四秒ほどでネクストの撃破を可能とする数値である。また開戦当初部隊には同兵装は六五挺存在しており、これは秒間およそ五機のネクストを撃破できる火力に相当する。
 しかし現実には、数分間の交戦を経て彼らがネクストに与えたのは被害とすら呼ぶに値しないかすり傷だけだった。




 実戦を経験したネクスト搭乗者は有史以来から通算して八〇名に満たない。
 これはネクストの過剰供給による戦力バランスの崩壊とコジマ粒子による環境汚染、そして特定個人への依存を前提とする戦争を企業が嫌ったためでもあるが、そもそもネクストの操縦には機械との意識のやりとりが必要不可欠であり、そしてそれを実現するには機械と搭乗者の意識との間に、一定以上の親和性が求められるからに他ならない。
 この才能はAMS適性と呼ばれ、適性をもつ者は一種の天才として認知される。




 膨大かつ精密なセンサー群によって、ネクストはその無機質な外見とは裏腹に人間よりも遥かに有機的な世界との相対を実現している。また機能面でも人間を上回る柔軟性を有しており、とりわけ機動力の分野においては、両者の差は文字通り別次元にあると表現して差し支えがない。
 しかし人間を超えているということは、人間には扱えないということでもある。数十万人に一人というAMS適性保有者のうち、ネクスト搭乗者として実戦レベルの数値を示せる者が保有者全体の一パーセントに満たないのは、そうした事実が背景に存在するためである。
 無論ネクストの表現可能な世界を人間に認識可能な次元にまで意図的に狭め、出力系を機械的に体系化し、動的な変換への適応を施すことは可能である。しかしそれでは本来的な新基軸(ネクスト)としての存在へは到達し得ない。
 真に人間を超えた世界を感覚し、人間を超えた能力を統率するには、人間のもつあらゆる手続とあらゆる道具を超えた手段を獲得する必要がある。つまりネクストの操縦には、新たな目と、新たな色と、新たな耳と、新たな言語と、それらを並行処理する新たな認識と、それを表現する新たな形式が必要となるのである。
 認識とは個別化、つまりパターンの識別であり、連続性と複雑性の知覚である。形式とは獲得した唯一性と共通点を表出し有効に作用させるための手段とそのための手続である。
 これらを得たとき、つまり新機軸に到達したとき、一つの文字によって一つの物語を知り、一度の音色によって一曲の音楽を伝えるのと同じ現象が彼らの身にも起こる。
 兵士の「亡霊」という表現はある意味では的を射ている。そして数値などという我々人間が用いる手続によって算出された予測は亡霊ほどの信憑性ももたない。なぜなら少なくとも、我々にとって形而上の存在であるものの一部は既に彼らの形而下にあるのだから。




あとがき

少し硬い文章ですが、一応筋は通っているはずです。
一読なさった方はお分かりの通りこのお話は二次創作で、大まかにいうと内容そのものは元ネタへの感想文といったところでしょうか。
ただし元ネタを知らない方でも楽しめる、もとい、元ネタを知っている方でも楽しめない仕様になってますので、予備知識の有無はそれほど関係ないと思います。
それでは最後まで読んでくださった方にお礼を申し上げて、締めの言葉とさせていただきます。ありがとうございました。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.24 )
日時: 2010/05/09 02:04 メンテ
名前: 魂蛙

「くしゃみ。
くしゃみの話だ。
兎にも角にも、何かについて論じる時は、まずそれが何なのかを確りと定義しておく必要がある。と、言うわけで、まずはくしゃみについて説明しておこう。
医学的、生物学的観点から話そうと思うけど、実はくしゃみが発生するメカニズムは、まだ詳細は明らかになっていない。面白い話だけどね。まぁ、生理現象としてのくしゃみは、鼻孔からの刺激物質の吸引や物理的刺激、或いはアレルギー反応により起こる呼吸器の発作、という事だ。
もう1つ面白いのは光の刺激、つまり眩しさを感じる事でくしゃみをする人もいる、という事だ。日本人では約25%がこの光くしゃみ反射……まんまな名前だと僕も思うよ、うん。ええと、4人に1人が光でくしゃみをするんだ。これは遺伝するらしくて、光でくしゃみをする家系なんてのがあるわけだ。しかし、難儀な体質だね。特に車を運転する際には、太陽の光や対向車のヘッドライトがくしゃみを誘発する恐れがある。上半身が痙攣し、視界もゼロに近いとなると、これはかなり危険だ。サングラスが必須になるだろうね。
おっと、話がズレてしまう。とにかく、何らかの刺激を受けると、呼吸を司る筋肉や顔の筋肉といった上半身の筋肉が激しく運動し呼気する、というのがくしゃみと言うわけだ。
くしゃみは漢字で書くと「嚔」、これは「くさめ」とも読むんだが、このくさめが語源なんだ。くさめってのは元々は呪文だ。どんな呪文かって言うと、昔の日本ではくしゃみをすると魂が抜けて、寿命が縮むと信じられていていたんだ。これは医療が未発達だった頃は、軽い風邪を引いただけでも死に至る事があった、と言うのが理由じゃないかと個人的には思うよ。風邪は万病の元、なんて言うしね。
また話が逸れた。それで、早死にを防ごうとくしゃみをした人、もしくはその周りにいた人が唱えた呪文が、くしゃみの語源となるくさめだった、と言うわけだ。
ちなみに、こういう考え方は海外にもあって、例えばくさめに当たる英語に「God bless you」があるんだ。くさめに比べると随分とお洒落に聞こえるのは、日本人にありがちな欧米への劣等感のせいだろうかね。どうでもいい事だが、嚔って漢字はアメリカ人なんかは凄い好みそうだ。
さて、くしゃみの理解はこの位でいいだろう。ここからは、僕の持論だ。
今まで説明したのは刺激に対する発作としてのだけど、くしゃみにはもう1つある。そう、所謂「誰かが噂した」時に出るくしゃみだ。
「一そしり二笑い三惚れ四風邪」なんて諺もあって、くしゃみの回数でどんな噂をされているのか分かると言う話だが、この俗説は起源が分かっていない。
光くしゃみ反射の原因もそうだけど、くしゃみに関する事は、結構謎が多いんだ。たかがくしゃみと侮れない、生命の神秘があるとは思わないかい?
この噂でくしゃみが出ると言うのは、真っ赤な嘘だというのは分かると思う。当たり前だね、本当にそうなら世界史の新田教諭なんかは、休み時間の間くしゃみが止まらない筈だ。特に彼の授業の後は、クラス中が彼のカツラのズレ具合談義に花を咲かせるからね。
話もズレてしまうな。で、噂でくしゃみが出ないとすれば、この原因不明のくしゃみは一体何なのかって話だ。
どちらかと言えばオカルトの話だから、仮説を土台に憶測と想像を積み重ねていく事は、予め承知しておいて欲しい。その上で、可能な限り、理論的に自説を構築していきたいと思う。
まず、くしゃみと言う行為その物に着目しよう。と言っても、先程概ねの説明はしたから、ここは比較対象を持ってきて考察する事にする。
予想はつくだろうけど、比較対象は咳だ。これも強い呼気を伴う呼吸器の発作で、くしゃみと比較するには持ってこいだろう。
くしゃみと咳の決定的な違いは、その発作を引き起こすトリガーだ。くしゃみが鼻腔の刺激によって起こるのに対して、咳は気管などの刺激が原因となる。
まぁ、これに関しては問題ない。僕が着目したのは、もう1つの違いだ。くしゃみをする時と咳をする時で、主観的に見た時に発生する最大の差異。くしゃみをする時にはあって、咳をする時にはない物。いや、逆だな。くしゃみをする時になくなる物、それは視界だ。
咳とくしゃみをしてみれば、視界の違いは正に一目瞭然だ。と言っても、意図的にくしゃみはできないけどね。どうでもいい話だが、くしゃみの真似が上手い往年の名コメディアンがいるね。彼のくしゃみ芸は国宝級だと思うよ。
それはさておき、僕は実際にくしゃみをしてみた。こよりでこう、鼻を擽ってね。端から見たらさぞ滑稽だったろう。
それで、くしゃみをしたんだ。確かに、意識しないと目を瞑ってしまう。今度は目を開けようと意識して、もう一度してみたが、視界が弾けるようにぶれてしまい、結局視界は限りなくゼロに近かった。
さて、問題はここからだ。何故くしゃみをする時、何も見えなくなるのか。
発想を転換しよう。見えないのではなく、見せてもらえない、だとしたらどうか。
何に、と聞くのも答えるのもナンセンスだ。人間を創り給うた神の類か、或いは人の意思の外から支配する本能の類か、まぁ何とでも呼べる何かさ。
考えるべきは、見せてもらえない物とは何か、という事だ。そう考えると、少しずつ見えてこないかい?
くしゃみで視界が消えるのは、ほんの一瞬だ。その一瞬の間に、それは起こっている。そう、何かが起きるんだ。
事象が発生すれば、世界は必ず影響を受ける。世界は変わるんだ。くしゃみをした、ほんの一瞬の間に。
例えば、今君がくしゃみをしたとして、そこの本棚から1冊の本が消えた事に、気付く事ができるだろうか? それがナポレオンの伝記だとしたら? かつてフランスにそういう名の英雄がいた、という事実が消えてしまったら、君はそれに気付くだろうか? そうしてくしゃみによって世界から姿を消した誰かがいる事を、君は覚えているだろうか?
奇しくもさっき、弾けるようにと言ったね。正しく、シャボン玉が弾けるように消えるんだ。
僕が言いたいのは、そういう事さ。
世界から何かが消えるその瞬間を、僕らはくしゃみによって見せてもらえない。
それが、くしゃみに対して僕が出した解だ。
さて、僕の考察を聞いた君は、どう感じるだろうか?」
「私の10分間を返せ」
僕ら以外の人気のない放課後の図書室に、今日も沈黙が降りる。


―了―






あとがき
最後の2、3行だけ読めば充分だと思います。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.26 )
日時: 2010/05/09 23:00 メンテ
名前: 小豆龍


   『梅雨』

 梅雨となり雨が降り始めたその日、一人の少年が親を亡くした。交通事故だった。一人息子の8回目の誕生日プレゼントを買うために街に出かけていた時、信号無視をした車に突っ込まれてしまったのだ。
 少年は今、お葬式に出ている。
 少年にはまだ実感がない。正月やお盆にしか顔を合わせない親戚が突然やって来て、あたふたと何やら働き始めて、気がつけば皆黒い服を着て、少年も黒い服を着せられて、今は両親の顔写真が乗った、仏壇を豪華にしたようなものの前に座らされている。
 お坊さんが奇妙な調子で何か言っている。
 雨の音がそこに加わり、少年はうつらうつらと眠くなってきた。気がつけば寝ていた。
 目を覚ますと少年は車の後部座席にいる事に気がついた。隣には高校生の従兄が暗い顔でうつむいている。従兄は少年が目を覚ました事に気がつくと、無言で頭をなでてきた。少年は従兄が泣いている事に気がついたので、どうしたの、いじめられたの、と尋ねた。従兄は首を振った。それでも泣いているので、少年は、変なの、と言って窓の外を見た。雨がまだ振っていた。
少年の乗った車は、「ほうじせんたぁ」という所に着いた。少年はきっと「じどうせんたぁ」や「げぇむせんたぁ」の仲間に違いないと思った。「じどうせんたぁ」も「げぇむせんたぁ」も楽しいところだ。「ほうじせんたぁ」も楽しいところだろうと思った。でも建物には「ほうじせんたぁ」と書いてあるのに、親戚は皆、「さいじょう」と言っていたのが不思議だった。
 少年にとって、楽しいところという予想は少しだけ正しかった。親戚みんなでお菓子を食べ(何と食べ放題だった!)、たくさんおしゃべりをしたのだ。途中のお父さんのお兄さんの長い話や、暗い雰囲気や、お父さんやお母さんがいないのは嫌だったが、我慢できた。もう小学生だから頑張ったのだ。
「これから霊柩車が来るからね」
 従兄が言った。
「きゅうきゅうしゃのなかま?」と尋ねると、従兄は少し考えて、うん、と頷いた。少年は、今日は色んな「なかま」を見つけるなぁ、と思った。
 霊柩車は、大きな大きなそれは大きな長い箱を二つ運んできた。それは棺と呼ばれているものだったが、少年はそれが何なのか分からない。
 お父さんのお兄さん、伯父に呼ばれたので行ってみるとだっこをされた。そしてその大きな箱を覗きこまされた。左の箱にお父さん、右の箱にお母さんが寝ていた。
「お父さんとお母さんにお別れを言おうね」
 少年は首をかしげた。
「なんで?」と尋ねると、伯父は目線をあちこちに迷わせた。そして頷くと言った。
「お父さんとお母さんは、死んだんだよ」
 少年は首をかしげた。
「まだ、分かんないか」
 伯父はそう言って、少年を下ろした。
 少年は理解できなかったのではなかった。学校でのケンカは「しね!」で始まって「ごめん」で終わるし、蟻を踏みつぶして殺したりすることある。死の意味はちゃんと知っている。ただ、両親が死ぬわけがないのに、おじさんは変な事を言うなぁ、と思ったのだった。
伯父は長い箱に手を合わせた。それから、親戚全員が伯父と同じ事をするために列を作った。
やがてその長い箱は奥行きのある棚のような場所に入れられた。これから火葬されるのだが、少年はお父さんとお母さんが新しい遊びをしているのだと思った。
「ねぇ、ぼくもあれやりたい」
 少年が言うと、伯父が、え、という顔をした。
「何だって?」
 少年は説明しようと思ったが、長くなりそうで面倒になってくる。少年はなんでもない、と言って説明するのを止めた。お腹も空いてきたのだ。伯母が、お昼ごはんを食べよう、と呼んだせいでもあった。
 お昼ごはんはおにぎりだった。とても大きいおにぎりで、少年は一個でお腹いっぱいになってしまった。従兄が五つも食べたので、すごいなぁ、と感心した。
「ほうじせんたぁ」で働いているらしい人が、終わりました、と厳かな声で言った。親戚達は突然静かになった。さっきお父さんとお母さんの入った箱がしまわれた棚のような場所に集まるらしい。少年はお腹がいっぱいになったので眠かったが、従兄に促されたので一緒に行った。
棚の中から取り出されたのは、鉄の大きなトレーのようなものだった。その上には白い粉っぽい物体がいっぱいあった。
従兄が神妙な顔になってそれを見ていた。少年は瞼の重さと戦いながらそれを見ていた。
その白い粉っぽい物体は、綺麗な大きな湯呑みたいなものに移されていった。親戚が一人一人、大きな箸でその物体をつまんで入れていった。入りきらないので「ほうじせんたぁ」の人が、ざっくざっく、とその物体を砕きながらスペースを開けた。何とか全部入りきった。
それをもう一回した。
 少年はもう眠いのが我慢できなくなってきた。眠い、と伯母に言うと、もうちょっと我慢して、と言われた。少年はだだをこねる。従兄がおんぶしてくれたので、その背中で寝ることにした。
 目が覚めると、今度は家に帰って来ていた。
「今日はお泊りするからね」
 従兄がそう言ったので少年は、わぁい、と喜んだ。早くお父さんとお母さんが帰ってくればもっと楽しいのに、と思った。
 朝になった。まだ雨は降り続けている。伯父さんと伯母さんと従兄に、おはようございます、と挨拶をした。
伯父さんが笑顔で言う。
「今日からしばらく、学校を休もうな」
「なんで?」
 少年が聞く。
「お父さんとお母さんがいないからだよ」
「おとうさんとおかあさんがいないと、がっこうをやすむの?」
「そうだぞ」
 よくわからなかったが、伯父さんがそう言うのだからそうなのだろう。少年は家で伯母さんとお留守番をすることになった。
 少年は茶の間で、従兄のテレビゲームを借りて遊んでいた。とても楽しかった。でも段々ゲームに集中できなくなってきて、楽しくなくなってしまった。変な声が聞こえてきたのだ。それは小さな小さなひそひそ声で、周りのどこからでも聞こえてくるような気がした。
 少年はその声の出所を探す事にした。
 今いる部屋から始まり、廊下、台所、玄関、客間、茶の間、二階の部屋とひと巡り。しかし声の居場所は分からない。そこにいるのかと思ったら、いつのまにかひそひそ声は別の場所に移動しているのだ。
「どうしたの?」
 食器洗いを終えた伯母さんが少年に尋ねた。
「ひそひそしてる」
「ひそひそ?」
 伯母は首をかしげたが、気にしない事にした。少年が一人遊びをしているのだと思ったのだ。
「おばさんもさがしてね」
「うん、分かった」
 伯母さんはそう言って洗濯の用意を始める。少年はまた声を頼りに家じゅうを歩き回った。
「そと、かなぁ」
 少年は玄関に向かう。靴をはいてドアノブに手をかけた。すると、ひそひそ声がすぐドアの向こうから聞こえてきた。少年は興奮して、勢いよくドアを開ける。そこには二匹の野良猫がいた。二匹の野良猫は驚いたように脱兎のごとく逃げていった。
 ひそひそ声がぴたりと止まった。
「ねこのおしゃべりだったのかなあ?」
 少年は不思議に思う。
すると、今度はひそひそ声が頭上から聞こえ始めた。庭に飛び出て屋根の上を見あげる。そこには二羽の小鳥がいた。小鳥は少年に気がつくと飛び去ってしまった。ひそひそ声はまた途切れた。
「こんどはことりさんのおしゃべり!」
 少年はそう叫んで庭に視線を走らせる。動物の姿を探したのだ。しかしどこにもいない。少年は庭から出て外の方に探しに行こうとする。
今度は家の中からひそひそ声が聞こえ始めた。
「また!」
 少年は軽い足取りで家の中に戻った。そしてまたひそひそ声を探した。ひそひそ声は大きくなっている。少年は時折、そのひそひそ声から自分の名前が聞き取った。一体だれが自分の話をしているのか興味が沸いてくる。
 色んな部屋を探していくと、仏壇がある部屋にたどりついた。その部屋からひそひそ声は聞こえている。それは仏壇の方から聞こえてきていた。
「なんだろう……」
 仏壇の近くに、あの「ほうじせんたぁ」で見た、大きな綺麗な湯呑のような入れ物が、二つ置いてあるのを少年は見つけた。伯父が、お父さんとお母さんは死んだんだよ、と言っていたのを思い出した。
声は入れ物から聞こえている。
 お父さんとお母さんの声だ、と少年は思った。少年は入れ物の前に座って、どうしてそんなところにいるの、と尋ねた。ひそひそ声はぴたりと止まった。
右の入れ物がお父さんの声で言った。
「死んでしまったんだ」
 左の入れ物がお母さんの声で言った。
「死んでしまったのよ」
 少年は、うそつき、と言って二つの入れ物を突き飛ばした。でも二つともとても重かったので、少し床を滑っただけだった。
 少年は泣きそうになりながら茶の間に戻った。テレビゲームを始めようとコントローラーを手に取った。すると突然テレビが言った。
「うそじゃないよ、ほんとの事だ」
 同調するようにテレビゲームが言った。
「死んでしまったんだよ」
 少年はコントローラーを放りだした。逃げるように廊下へ飛び出した。すると今度は壁が物を言った。
「死んじゃったんだよ」
 床が言った。
「逃げちゃだめだよ」
 少年は目を閉じて耳を塞いだ。床にうずくまって全ての感覚を閉じた。声は聞こえなくなった。もう何も聞こえなくてもいいと本気で思った。
 やがて少年は泣き始めた。
 外では雨が止んで晴れになっていた。
 






【おしゃべり】
二か月前に書いた。こんなのも書けるのかーと、ちょっと嬉しくなった。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.27 )
日時: 2010/05/11 18:16 メンテ
名前: 虎男

少女が見る川



少女は川を眺めていた。
茶色のブロックが積み重なった屋根、白い壁に開いた窓を90°押し上げてから上半身だけを乗りだして、
窓の桟に左手を乗せてその上に顔を置き、右手のひじを、同じく窓の桟にのせて頬杖をついている。
川からは、少女が長い金髪をロールにしていることと、白いワンピースのような服を着ていることも見ることができた。
ふと、少女が溜息をつく。
よほど日常に退屈しているのだろう。
そんなことにはまるで関心ない様子で、川は流れ続けた。
少女は毎日、昼前、昼下がり、黄昏時と川を眺め続けた。
深緑色の水は、苔とカビがそれなりに繁殖した護岸を決して越えることはなく、
大雨が降った日も、日照りが続いた日も、水が陸に上ることはなく、川が底を見せることも無かった。
今日も、川は流れ続ける。

流れるべくして、そこが、それが、川であったから、川は流れ続けた。
深緑色の川の色に紅が時折混じるようになっても、うっすらと赤みがかってきても、
川は知ったことかと言わんばかりに、いつも通り流れ続けた。
いつもどおり、ゆっくりと。
少女は、川の始まりがどこなのか、興味は無かった。
考えたこと自体はあったが、3秒足らずで思考の中から見事に蒸発、いや、スポッときれいに抜け落ちた。
川の終わりは、町を抜けて幅を一気に広げながら海に注ぐのを、海の方から船で撮ったらしい写真で見たことがあったので、それ以上考えることもしなかった。
川に、もとの色より濃い緑色が混じり始めても、いつもより少しだけ退屈の度合いが軽減されただけで、
だから、そのうち濃い緑がこちらの川縁からあちらの川縁まで覆っても、変化が途絶えて、また少し退屈になっただけだった。
今日も川は流れ続ける。

川に、大きな鉄の塊が落っこちた。
盛大な水しぶきをあげて、ものすごい勢いで川に突っ込んだそれを見て、まわりの大人たちは
「セントウキダ!!」とか叫んでいたけど、少女も川も、特に気にせず、
ただ、いつもよりもっと黒い水がセントウキから流れ出して、それもしばらくしないうちに途切れた。それだけだった。
川は、セントウキが突き刺さったままで流れ続ける。
少女はセントウキを見て、少し邪魔だなぁと思った。
少女から見て、川のあちら側のもっと向こうのほうの家が、真っ赤に燃えていた。
時々、激しい地響きとドドンという大きな、小さな音が聞こえるが、少女はそんなこと全く気にせず、
いつも通り、川を眺め続けていた。

少女は時々溜息をつきながら、窓の桟に左手を乗せてその上に顔を置き、右手のひじを、同じく窓の桟にのせて頬杖をついて、いつもと同じように、川を眺めていた。
川にはあれからもう2,3のセントウキが突き刺さり、内一つは燃えながらバラバラに砕けながら落ちてきた。
そのたびに少女は邪魔だなぁと思ったが、
自分の力でセントウキを退けることはできないので、諦めて、只々川を眺めるだけだった。
溜息をつきながら、川を眺めるだけだった。
とうとう川のすぐ近くでも家がものすごい音と衝撃と一緒に燃え始め、空を飛んでいるセントウキがブンブンという音を響かせ、
大人たちが「キジュウソウシャ!」だの、「バクゲキ!」だのと言い始め、慌ただしく右往左往していたが、
少女は全く気にせず、いつも通り川を眺めていた。

ある時、少女は突然両方の肩を掴まれて、後ろに引き倒された。
背中をしたたか打って痛かったが、どうにか後頭部を守ることはできたのでほっとしていたら、
汗だろうか、臭いにおいのする男二人に突然視界を遮られ、木の板と棒で構成されていた天井が黒で覆い尽くされた。
と思っていると、思い切り自分の体を乱暴に揺さぶられ、為すが儘にされていたら、いきなり、身体がスースーし始めた。
寒い、これでは風邪をひいてしまう。そう思った次の瞬間、窓の外、家の屋根より上の方だろうと思われる辺りから、低いブンブンという音がとてもうるさく聞こえ始め、
次に、天井からものすごい、バララララという音が聞こえてきたと思ったら、ブンブンという音が少し遠ざかり、
すぐに大きくなって、今度は家の中からバキバキ、ボキボキと物凄い音が聞こえた。……と思ったら、すぐに止み、臭い男たちが自分に強く圧し掛かってきた。
重いのでなんとか藻掻いてみると、思ったよりあっさりと男たちの身体を自分の上から退けることができた。
ゆっくりその場で立ちあがると、やはり自分の体は素っ裸に剝かれていた。どうりで寒いはずだ。
その辺に落ちていた服を再び身に纏い、姿見の前に立ってざっと身だしなみを整え、その場でクルリと1ターンを決めると、少女は、「ふん」と軽く頷いて、その部屋から出て行った。
少女が何をするつもりかは、誰も知らない。
川はまるで何事にも興味がない様子で、ただ川として、流れ続けた。
赤い色や深緑色、黒色だろうがお構いなしに、流れ続けた。

セントウキが低く飛び、
少女が窓から姿を消しても、
何事もないまま、今日も川は流れ続ける。





あとがき

その少女、動かざること山の如しってね。
何事もほどほどに。
長いこと筆取って無いと、こんなもんよっと。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.28 )
日時: 2010/05/12 23:18 メンテ
名前: 小豆龍

   『リセット』

ちょうど今くらいの時代。遠い遠い宇宙の天蓋方面で、一匹の神様が退屈そうに大きな欠伸をしてその馬鹿面をさらしていました。一部の乱れもない歯並び、口内炎に悩まされたことのない滑らかな舌、荒れを経験したことのない唇、ムキムキでもボン、キュ、ボンでもないけれど見る者を引きつけてやまない身体のライン。どれをとっても鼻もちならない完璧さで、見ているだけでイライラしてくる風貌でした。きっと友達なんて一人もいないに違いありません。
「だって神様じゃもん」
 ほら、これです。何か都合が悪くなると、自分は神だから、で誤魔化すのです。結局は問題の棚上げにしかなっていないのですが、神様は素知らぬ顔です。いや、きっと神様自身も気づいてはいるのでしょう。なんてったって全知全能なんですから、気付いていないはずがないのです。鼻くそをほじって呼吸だけして永い日々を過ごしている自分は、どうしようもなく甲斐性がなく、反論する気力さえ持てない頭空っぽさんで、三日坊主どころか三分坊主、いや三秒坊主の根性無し、そこに怠け癖が加わるんだからどうしようもない奴なんだって。
「むっ」
あ、今、ピキッってきたみたいですよ、フフ。あんな、透かし面していてもちゃんと聞く事は聞いているようです。あの耳はお飾りじゃなかったんですね、何だか安心してしまいました。ところで腰にまで届くほどの見事に無駄な福耳ですけど、あれ邪魔じゃないんですかね。何かの拍子に、ぶちっ、って切れたりしないんでしょうか。ちょっと確かめてあげましょう。こう、クイ、クイ、と、お、なかなか手堅い感触ですね。どうせだからこぶしばりにしておきましょうか。
あ、ほどいちゃった。かなり固く結んだんですが、頭を軽く揺らしただけでほどいちゃうなんて、あれですね、ゴッドパワー使いましたね。ほんとノリが悪くて困ります。そもそもこんな事にゴッドパワー使うとか、エコロジーって言葉知っているんでしょうか。まあ、神様だから知っているんでしょうけど、あ、まさかとは思いますけどあえて無視しているんでしょうか。それともエコロジーなんて下々の考えだからと歯牙にもかけていないとか。ああ、通りで自然環境の保全が遅々として進まないわけですね。
「むぅ」
あ、今、ちらりとこっちを見ましたよ。それなりに堪えたようですね。
「あのね、君達さ」
 ちょ、なんか神様しゃべりはじめましたよ。やっべー、超レアなんですけどー。
「……お前たちをできるだけ我に近づけたつもりなんだけど、こう、もうちょっと我を見習うとかさ、ないの? その無責任な批評とか、我は割とどうでもいいんだけど、さ、その、見苦しいというか、うん。もうちょっと考えてほしいかなー、と」
うわ、何でしょうかこの教師。地味に腹が立ってきますね。そもそも自分に似せた生物をたくさん作るとかどれだけナルシストなんでしょう。たとえるなら、今でいうフィギュアマニアが自分のフィギュアばっかり作ってるってことですよね。うわー、さすがにこれは引きますよね。
 ぷちっ。
 おや、神様の何かが切れたようです。
「う、うがーっ!!」
 神様は怒りを爆発させました。
 神様を中心に真っ白な光が四方八方に放たれ、世界の全てを覆い尽くしていきます。世界は消え去り、たくさんの星々の源が漂う暗黒の世界になりました。これから何億年もかけて、たくさんの星が生まれてくるでしょう。


 そう、これが後に、知的生物によって名付けられる宇宙の起源、ビッグバンの正体なのです。




【あとがき】
ごめんなさい。ただの自己満足です。神様を怒らせてみたかったんです。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.29 )
日時: 2010/06/15 00:17 メンテ
名前: 虎男

魔物


んー……あ、あぁ、なんだ居たのか。居たのならもうちょっと早く声をかけてくれよ。
え?いやいや、面倒くさくても定番デショ?
安心しろって、そりゃ確かに俺は所謂ところの“魔物”ってヤツだけど、
もう人とか襲ったりするのもブーム過んだし、ぶっちゃけ飽きちゃったから、別にエンカウントとかしねーって。
ところでさー、最近よく考えてんだけど、“俺”って基本何食って生きてんだろうな?
やっぱ果物とか、その辺の小動物とか?……ねーよ。だって可哀そうじゃん?
つか、やっぱ殺生はよくねーって。どっかのお偉いさんも言ってたろ?確か。
ブッキョーとかそーゆーんだったっけ?まぁいいや、よく知らね。
あぁ、喉乾いたときに水とかはふつーに飲むよ、てきとーに川から。
たまに悪い水でも飲んだのか腹抱えて転げまわるハメにもなるが、まぁ、ほっときゃ治るし。
どんなに悪くても、気が付いた頃には、まぁ、全身に力がみなぎってるってーか、チョー元気になってるからね。
自分の身体ながら、んで、今更ながら、どーゆー仕組みしてんだろうな?
……まー、ケントーもつかねーわなー。
あぁ、そっか、その辺の生き物はアレだけど、果物とかはOKなのか
そういや、四足歩行の連中なんかはちょくちょく人間の植えた植物とか食って追いかけられてるもんな。あーなるほどー。
そーいやーこの間、全身青っちゅーか、青緑っちゅーか、いかにも“水生です!”って言わんばかりの色合いで、
人間でゆーところの頭にデカイ目玉が一つだけついてて、ついでにデカイ角生やしてる奴が、
胸のところのやけにデカイ口開けながらリンゴをムシャムシャしてたっけ
あれウマソーだったなー……。お前、ちょっとこの辺でリンゴ取れるとこしらね?
いーじゃん、秘密の巻物とかやるからチョット教えろよー。なーなーなー。
……。
へー、そうなんだ。センキュー。今度行ってみるわー。
あぁ、そうだついでにだけど、なんか果物を使った“ジャム”ってモノあるじゃん?
俺名前しか聞ーたことねーんだけど、それ、どんなモンなんだ?

……ドロドロしててベッチョリしてて、そのくせ歯が溶けるほどに甘いのか……。
ちょっと聞いただけでも寒気がするなー。できれば絶対にあいたくねーぜー。
歯はやっぱ大事にしねーとなー。
聞いた話だけど、人間って歯がビョーキとかなってヤバくなったら、引っこ抜くか、やたらと硬い石使って削り取るんだろー?
やっぱり人間も歯とか生え変わるのか?……え、違ぇの!?うっそだー、信じらんねー。
だったらなんで昔思い切り顔面へこましたり耳とかちぎったり腕とかもぎ取ったりしても
何度でも完全治って、なおかつなんかパワーアップしたりして逆に襲いかかったりしてきてたんだ?わけわかんねー。
ぜってーなんか“チート”?とかそーゆーの使ってやがるだろ?騙されねーかんな?
いや、それであながち間違いじゃないってどゆことだよ?あぁなんかテンション上がって来た
ちょっと詳しくせつめーしてもらうかんな!?……。なんだよ、そっちもなんか感覚的なモンなのか。あーあ、つまんねー。

っとっと。もうこんな時間なのか、見ろよ、もうお日さんがあんなに傾いてら
俺もーそろそろねぐらに帰るかなー。あぁ、話し相手になってくれてあんがとな。またどっかであおーぜー?
あぁ、そうかもな、それに次がいつになるかもわかんねーし、お互い覚えてるかもしれねーわなー。
んじゃ、リンゴのジャムとやらで逃げ出したら俺ってことで、一つよろしく。
じゃーなー。まっすぐおうちかえれよー。変なモンスターとかに出会わねーよーに
せーいっぱい気ぃーつけろよー。



……誰なんだろーなー、俺に“魔物達の王”なんて肩書背負わせた奴は。



【あとがき】
リハビリがてらに、ただただ書きなぐってみました。
若気の至りで投稿しました。自己満足ですよっと。
* Re: 128N.com的短編小説スレ ( No.30 )
日時: 2013/02/24(日) 02:43:23 メンテ
名前: まこと  <lagoon492@yahoo.co.jp>

  ――宇宙があった。

 眼下に広がる、闇と光の虚夢。

  闇が無数の光芒を抱きしめている。


  ――いや、湖だ。

 遅れて、そう理解する。
  波一つ無い、宇宙の静謐を湛えた、深く、深く、吸い込まれそうなほど澄んだ湖。


  いま、見渡す限りの宇宙(ソラ)に立って見下ろしている。

  硝子の床に立っているかのように、湖面に立って居た。

  頭上を仰ぐと、そこには足下と同じ光景が広がっていた。




  絶対零度の闇のなか、燐燐と光を謡う。飲み込まれそうなほど圧倒的な、儚い灯。

  上も、下も、全てが見渡す限りの宇宙。



  星との距離さえ見失うほどに、それは広い。
  星達が、果てしなく近い。
  下手に身じろぎするだけで幾つかの星が壊れてしまう。
  そんな危うささえ覚えるほどの。

  ふと考える。なぜこれが湖だと分かったのだろう?呆れるほど巨大な鏡と考えてもおかしくないだろうに。
  だが自らの体重さえ伴わない朧な感覚では、これが湖なのか鏡なのかさえ分からない。

  鏡も湖も、どちらも同じものだ、と心のどこかが囁いた。
 鏡も、水も、等しく己を見透かすものだから、と。

  そこまで思い至ったところで、足元に写り込んだ己の顔に、今更のように気がつく。
 しゃがみ込み、足元のソラを覗き込むと、左目が一つの星に重なり、それがかすかに瞬いた。
  
 ―――涙?

  その涙を拭うように、瞳と重なって輝くその星に、指先を伸ばした。

  ピィン――――――。

 触れると、高く澄んだ透明な響きが銀瑠璃の輪を咲かせた。やがてそれは綺羅綺羅と砕け、無機の空間に虚ろいゆく。

  恐ろしく孤独な暗闇のなかで、息をすることさえ忘れて、冷たく広がっていく輝きに魅入った。


  これら全ては、既に死んだものの、悲しくて美しい、滅びの煌きなのだ。








 想像さえ及ばないほどに、壮大で、儚く美しく。
 きづけば、頬が冷たい水で濡れていた。

 ――――生きている。

 自分が個の生き物であることを。






  砕けた銀輪の波と伴に、湖の中の己がぐにゃりと歪み、そうして再び静けさを戻した湖面に再び現れたのは
  ―――――血に染まった自分の顔。





  これが己を否定した者のサダメ。己から目を背けた者の末路。





  韻々と残響を霧散させていく旋律と伴に、ついに恐怖はその首をもたげた。
  旋律…。まるで呼び声だった。



  そして、世界が傾いだ。グラリと、均整を失い、黒い濁流となって崩壊した。
 
  傾いた世界を滑落する一瞬の浮遊感。
  臓物を氷の手で引きずり出されるような感触に身が凍る。五臓六腑のせり上がる感触に悲鳴さえ引き攣る。
  やがて夢の中の自在な視点は、その一瞬で世界の全容をあらわにした。

  盃だった。

  生命の惑星を断ち割って作られた盃。

  それは、世界(ほし)そのものを貪りつくさんとする者の業。

  闇から伸びた白くたおやかな手が、青い星の杯をゆるゆると手に取り、傾け…

  どす黒い闇色の湖の中に飛沫をあげて落とされていた。

  澱んだ闇が口の中を埋め尽くし舌にからむ。死者の血の味がした。

  そして視た。闇の濁流が堕ちて行くその果ての向こう。



  三つの魂が奏刻の渦を巻く、燗喜に打ち震えるその目を。

  瞳は抉りぬかれたごとき虚に濁り、冥く。
 だが闇の中で確かにソレは存在していた。凍えるほど甘く爛熟した腐臭を馨せていた。


  憎悪

  殺意

  凶気


  ―――侵(ころ)してやる


  それは存在を覆す意思。
  それは滅ぼしあうための呪い。


  揺ら揺らと、愉羅愉羅と、ソレは愉麗ている。


  喪う事への、喪ったものへの、



  悔恨

  慙愧

  絶望

  魂を犯す悦びの謳。





  ソレを唯一孕む者の名を、ボクは識っている―――――――――――――



 ゴンッ

 埃だらけの部屋の床と口付けを交わして目覚めたその朝、自分は無性に泣きたいという心境を生まれて初めて味わったのだった。


* 【問:□に不等号を入れよ】おばけ□人間 ( No.31 )
日時: 2012/01/15(日) 18:35:53 メンテ
名前: 小豆龍

 夕焼けが綺麗な放課後のこと。
 公立牧代(まきよ)中学校の第二多目的室で、四人の男子生徒が一つの机で額をつきあわせ、ごそごそと何かやっている。
茶髪の桜井、金髪の金田、黒髪の黒沢、坊主の丸谷、の四人である。
四人ともひっきりなしにちらちらと、教室のドアを気にしながら、落ちつかない様子で声を交わしている。
桜井が金田に鼻息荒くたずねた。
「ねえ、あれ、あれだよ、あれ。ちゃんと持ってきた?」
金田も負けず劣らず呼吸が荒かった。
「おまえこそ持ってきたよな? バックレたらマジでコロスからな、マジでマジで」
 桜井も金田も、お互いの持っている紙袋を凝視し合っていた。紙袋越しの形状からうかがうに、何かしらの冊子のようである。
「二人とも、疑うより早く交換しなよ。ばれちゃうよ」
 黒沢が不機嫌そうに口を挟む。
「そうだ、早くしろ」
 丸谷もそう言って、桜井を急かす。
 桜井は心配そうに言った。
「で、でもさぉ、もしこいつがボクのことをダマそうとしてたら」
「いやいやいや、ないって。いっつも俺ら顔合わせてんじゃん。騙してどうすんの。絶交じゃんこいつがさ」
 と黒沢は金田を親指で示して、「そんな損することするわけないって」と続けた。
 金田は、チッ、と舌打ちをして自分の紙袋の口を開ける。
「カクニンすりゃーイィんだろ? ほら、おまえも見せろよ」
 桜井の顔はそれでも晴れなかった。
「で、でもさぉ……」
 チィッ、と金田はまた舌打ちをした。桜井の紙袋を強引に奪い、自分の紙袋を押しつける。桜井が、あっ、と言った時には、金田は奪った紙袋の中を確認していた。
「ケッ、ちゃんとオレが頼んだ洋モノじゃねーか。なにをビクビクしてんだよ」
 そう言われて、桜井も恐る恐る自分の手に持った紙袋の中身を見た。途端に桜井は笑顔になった。
「うん、そうだよね、あはは。ごめん!」
 黒沢が苦笑しながら桜井を見た。
「現金なやつ……」
「そーゆーヤツだろうが、コイツは」
 その時、丸谷が「やばい!」と声を押し殺して言った。桜井も金田も紙袋を足元のカバンに勢いよく突っこんで隠す。同時に教室のドアががらりと開いて、厳めしい顔をした教師が教室の中をのぞきこんだ。
「てめぇらか。今度は何してた……?」 
 黒沢が苦笑いしながら答える。
「今度、どこで遊ぼうか話していたところですよ。純真な生徒を疑うなんてひどいなぁ。ピグマリオン効果って知ってますか、センセイ?」
 教師は黒沢の軽口を無視した。そして彼らの足元にあるカバンと、そこからはみ出ている紙袋に目を止めると、フン、と鼻をならした。
「その中身はなんだ?」
 桜井が、やべっ、と呟いて紙袋をカバンの中に見えなくなるように隠す。すると金田、黒沢、丸谷の三人は、ばかっ! と叫んで各々のカバンをひっつかみ、いっせいに駆けだした。
「まてこらぁ!」
 教師が怒鳴る。しかしそれが自分にだけは関係ないとでも言いたげな顔つきで、黒沢はベランダへ、金田と丸谷は教師の入って来たドアとは別のドアへと走り寄った。教師がどっちを追うか迷っている間に、黒沢はベランダ伝いに二つ隣の教室から、金田と丸谷は廊下へ逃げ出して行った。
 教師は頭をかきながら桜井を見た。
「桜井。職員室に来い」
「はい……」
 茶髪の桜井は、しょんぼりしながら頷いた。

 職員室で「交換し合っていたもの(思春期男子特有の青春の全てをかけて手を伸ばす聖書とも形容される写真がいっぱいの大人が独り占めして警察が目を光らせて思春期男子が手に取らないように取り締まったりする類の金田と交換し合った至宝とも呼べる雑誌)」を取り上げられ、こってりしぼられた桜井は、うまく逃げおおせた三人を恨めしく思いながら帰路についていた。吹く北風が尚更身に堪える。陽はもう山の向こうに沈もうとしていて、夜の帳が降り始めていた。
「ずるいよなぁ。結局ボクだけ損しちゃったじゃないか。なんで助けにも来ないんだ。友だちじゃないか」
 黒沢、金田、丸谷の顔を思い浮かべる。なんだか彼らが自分をあざわらっている気がする。はめられたのか。許せない。復讐したい。こらしめたい。でも、どうすればいいんだろう?
「うらめしいのですか?」
 桜井はそう問いかけた人物に目を向けた。微笑する女性だった。
「え?」
 三十代後半だろうか。どこにでもいるおばさんのような女性である。その人は、桜井の横にある電柱の陰から顔だけを出していた。電柱とその後ろにあるフェンスの間には、人の入れる空間などないはずなのに。
桜井は人に会った時のくせでとりあえず会釈をした。その人も会釈を返した。
「うらめしいのですか?」
 その人はまた問いかけてきた。桜井は、おばけだ、と思いながら、しかしパニックになることなく言った。
「でも、どうすればいいか分からない」
「呪えばいいと思います」
「どうやって?」
「まず、藁人形を用意します」
「どこで買うの?」
 女性はきょとんとして桜井を見た。
「作るに決まっているじゃないですか」
「……どうやって?」
「作り方が、分からない?」
「うん」
 う〜ん、と女性は眉間にしわを寄せた。小さくではあったが、これだから最近の若者は、と呟くのが聞こえた。しかし一方の桜井は、全く怖くないこのおばけを見て、最近のおばけは呪力が弱そうだ、と思った。
「では、ここに書かれている住所までおいでください。そこの人が、きっと藁人形をくださるでしょう」
 おばけはそう言って、紙きれを桜井に手渡した。桜井は紙きれを受け取る時、女性の手に軽く触れた。少し触れただけなのに、冬の風に負けず劣らず冷たかった。
「来なかったら、呪いますよ」
 女性はニコッと笑って電柱の陰にひっこんだ。
 桜井は女性に触れた手をポケットで温めながら、紙きれに書かれた文字を読む。無意識に、えっ、と声が出た。
「これって……まさか……」

 書かれていた住所は、桜井が良く知る人物の住んでいる家と同じ住所だった。ひと昔の日本家屋風の家。表札には黒沢と書いてあり、桜井はやはり彼の家だと確信した。
インターホンを鳴らす。
『へぇーい、どちらさまー?』
 少し気だるい声で同年代の声が聞こえてくる。
「ボクだけど……」
『ボクボク詐欺? 警察呼んじゃうよ?』
「桜井だよ!」
『はっはっは、分かってるって。カメラで見えるし』
 桜井が苛立ちをつのらせる中、玄関の戸が開いた。出て来た人物は桜井に声をかけた。
「センセイの鎌かけなんかにかかんなよ。桜井はトロいなあ」
 黒髪の黒沢である。
「で、何の用? 没収されたの弁償しろなんて言うなよ?」
 桜井は首を横に振り、半信半疑ながら要件を告げた。
「藁人形、くれる?」
 はあ? と黒沢は首をかしげた。
「しぼられすぎて頭どうにかしちゃったの?」
 桜井は持っていた紙きれを黒沢に見せる。
「女のおばけに紹介されたんだけど……」
 黒沢が目の色を変えた。桜井の腕をつかみ、家の中に引きずり込む。戸を固くしめ、鍵をかけた。
「しゃべるな。頼むから、しゃべるな。とりあえず、家に上がれ。居間は知ってんだろ。そこで待ってろ」
 黒沢はそう言って、ドタドタ音を立てながら家の奥に消えて行った。
 桜井は、妙なことになったなあ、と思いつつ靴を脱ぎ、以前に金田、丸谷の三人で遊びに来た記憶を思い出しながら居間に向かった。そこにはコタツがあり、むきかけのみかんと飲みかけのお茶が置いてあった。
 桜井はカバンを部屋の隅に置いて、コタツの中に足を突っこんだ。すると、中の柔らかかい何かを蹴飛ばしてしまった。
「ウビャア!」
 反対側から真っ黒な猫が飛び出してきた。尾が二つある猫だ。その猫は以前、三人で遊びに来た時に、チラリと見たことがあった。黒沢は珍しい猫を飼っているな、と羨ましく思ったものだ。桜井の家では両親が結婚する前から飼っている年老いた犬がいるが、二本のしっぽを持つ猫の方がなんとKOOLだろうか、と桜井は思った。あれ、クールのアルファベットってKOOLだっけ?
 そんなことを考えている間にも、猫は恨めしそうに桜井を見あげていた。
「あ、ごめんよ」
 桜井は黒猫に手を合わせた。黒猫はしばらく桜井を見つめていたが、ブシッ、とくしゃみをすると、またこたつの中に戻った。
 桜井がみかんに手を伸ばしてむき始める頃に、黒沢は戻って来た。
「招待したのは、こいつか」
 開口一番、黒沢が立ったまま、こたつの上のみかんを指さしてそう言った。しかしあの女のおばけは、黒沢の背後の、タンスと壁の隙間から現れて桜井に小さく手を振っている。桜井が女に手を振り返すか迷っていると、黒沢は、そっかあ、とため息をついた。
「見えてるのか……」
「連れてきてくれたのはみかんじゃなくて、あそこの人だけど……」
「分かってるって」
「じゃあ、なんでみかんを指さしたの?」
「見えるフリだと困るから」
「何が困るの?」
 黒沢は答えず、こたつに入ってきた。湯呑を持ち、残っているお茶を一息に飲みこんでから、こたつの中にいる猫を引っぱりだした。前脚の脇を両手で抱えてぶら下げる。
「しっぽ、何本に見える?」
「え、二本だけど……?」
 黒沢の顔から俄かに汗が噴き出た。天井の蛍光灯の光を跳ね返して、黒沢の顔がテラリと光った。
「まじかぁー……そっかぁー……」
「さっきからなんなんだよ」
「なんじゃ、なんじゃ、若の霊視友達じゃったのか? ただの猫のふりせんでも良かったんじゃなあ。なあ、お友達さんよ、蹴飛ばしたのは一回だけは見逃してやるがじゃな、二回目はねえぞ。おぬし、鍋島の化け猫の話知っとるか? 今の佐賀県のあたりなんじゃがの、あれはなあ……モゴモゴ」
「しゃべるな馬鹿猫が!」
 黒沢は乱暴に、しゃべり続ける猫をこたつに押し戻す。
そうしてから、桜井の肩をガシッとつかんだ。
「桜井、落ちついて聞いてほしい」
 ゴクリと黒沢はのどをならし、真顔で言った。
「お前は、おばけが視えるんだ!」
 対して桜井は軽く頷くだけだった。
「……みたいだね」
「なんだその反応は!」
「いや、だってさ、昔から変なもんは見えてたしさ……話しかけられたのは今日が初めてだけど……」
 黒沢は桜井から手を離し、後ろにいる女のおばけに体ごと振り返った。
「話しかけたのか、お前!」
 女のおばけは、微笑しながらしぶしぶ頷いた。
「だって、恨めしそうだったんですもの」
「ここのルールを忘れたのか!」
「あ、そう言えばそんなのもありましたね」
 黒沢が頭を抱える。
「これだから新参者は!!」
 こたつから猫が顔だけ出して、女のおばけを叱りとばした。
「ここは人間風に言えば集合住宅ぞ! そしてここの家主は人間の黒沢一家ぞ! ここに住む間、おばけらしきことはするべからず! そんなことも忘れおったか! このポンコツ隙間女!」
 黒沢が猫の頭をぽかりと叩く。
「馬鹿はてめぇもだ! 勝手にしゃべりやがって! 誤魔化せるもんも誤魔化せなくなったじゃねぇか!!」
「え!? この人間、若の霊視友達じゃなかったんで!?」
「そもそも『霊視友達』ってなんだよ! こいつは友達! 視えるっぽいけどそれ知ったの、今、今だから!」
「あっちゃー、もしかして、わし、ポカった?」
「話の流れから分かれ! 追い出すぞ馬鹿猫!」
 猫は、ヘッ、と鼻で笑った。
「若にそんな権利ないじゃろ」
 黒沢は頭を抱えた。
桜井は良い加減、自分の用事を済ませたくなったので黒沢の肩を叩いた。
「それより藁人形くれよ」
「うるさい! そもそも何に使うんだよ!」
「いやぁ、なんか呪いたくって」
「誰を!?」
 桜井はふと、答えに困った。そうだった。そもそもは、友人三人を呪おうとしていたのだ。しかし藁人形をもらう頼みの相手が呪う相手なのだから、これでは三人を呪ったら、途端に犯人がばれてしまうではないか。
「やっぱりいいや」
「あら、恨めしくなくなってしまったんですか?」
 女のおばけが悲しそうに言っている。
「そうだね、恨めしくなくなっちゃったよ」
「残念です」
 女のおばけはそう言って、タンスと壁の奥の方に引っこんでしまった。
 桜井はむいたみかんを食べ始めた。今回の件は、このみかんに免じて許すことにしようと、そう決めた。
「おい、勝手にみかんを……まあ、いいか。みかんくらい」
 黒沢もむきかけだったみかんに手を伸ばした。桜井がリモコンに手を伸ばしてパチリとテレビをつける。ちょうどお笑い番組が始まったあたりで、観客の割れるような拍手がお笑い芸人を出迎えたところだった。
桜井がみかんを食べ終える。すると黒沢が「もう一つ食うか?」とすすめてきたので遠慮なくもらった。一方の黒沢はこたつから出て台所の方にむかった。魔法瓶のあたりでかちゃかちゃやっているのをみると、お茶を淹れているようだ。やがて二人分の湯呑を持ってきて桜井の前に置いた。
「飲めよ」 
「ありがとう」
「あと、これ」
 そして黒沢が取り出したのは、桜井が教師に没収されたはずの紙袋だった。
 桜井は驚いたようにその紙袋を見た。慌てて中身を確認する。中身は確かに、金田と「交換し合っていたもの(思春期男子特有の(略))」だった。
「取り返しておいた」
「ど、どうやって?」
「おばけの力で」
「なんで言うこと聞くの?」
「家賃みたいなもんだよ」
「へぇ」
 陰陽師のようだ、と桜井は思った。
「その代わり、取引がある」
 桜井は少し考えてから言った。
「いいよ」
「おばけのことは、秘密な」
「誰にも言ってはいけない?」
「そう」
「しゃべったら?」
「しゃべったらいかんぞ」
 こたつの中の黒猫が、桜井の膝をよじのぼって顔を出し、会話に割って入ってきた。そして大きな瞳で桜井をじっと見つめた。
「おぬしがしゃべったら、黒沢一家は引っ越しじゃ。色々厄介なことになる。おぬし、若のお友達なんじゃろ、若が転校したら困るじゃろ?」
「うん、そうだね」
「あと、若のお友達じゃから、あんまり言いたくないんじゃがの、厄介なことになるのは黒沢一家だけじゃないぞい。ここに住むおばけも困るんじゃ。無論、わしもな。し返しの一つもするかも知れんの。ちなみにここにはおばけはいっぱいおるでの。し返しもどえりゃー数になるぞい」
「おっかないね」
「そう、おっかないのじゃ」
「そういう訳だから、頼むぜ、桜井」
「うん」
 桜井は頷いた。

 しかし桜井は、約束を果たすことができなかった。
 
黒沢の家からの、返り道のことだ。
「ねえ、茶髪の君、ちょっといいかな?」
 桜井に声をかける者があった。桜井は一瞬、おばけの類かと思って緊張したが、その人はスーツを着て皮鞄を持った、どこからどう見ても普通の人間だった。
「ちょっと道に迷っちゃったんだけど、聞いてもいいかな?」
「はあ……」
「あ、失礼、僕の名前は鈴木秀重(ひでしげ)と言う。名刺は……一応渡しておくか」
 桜井は名刺を手渡される。そこには確かに『鈴木秀重』と書いてあり、出身が和歌山県となっていた。肩書きは僧侶とあった。
 桜井はまじまじと鈴木の髪の毛を見た。どんなに目をこらしてもカツラか地毛かの判断はつかなかった。
「ん? あー、そういうことか。いやいや、坊主にしないお坊さんだっているんだよ。坊主の人がお坊さんと限らないのと一緒さ」
 桜井は友人のことを思い出して納得する。
「それで、どこに?」
 桜井は鈴木に近づいた。鈴木は携帯電話を手元に持っていたので、グーグルマップにアクセスして地図を見ていると思ったからだった。鈴木が、えっとね、と言いながら携帯電話の画面に指をさす。そこには見慣れた地名があり、牧代中学校の名前があった。
「牧代中学校に行くんですか?」
 そう聞かれて、鈴木は目を宙に泳がせた。
「あー……うーん、まあ、そう、そうだよ。そういうこと」
「それなら、この道が地図ではこの道にあたるので、このまま、まっすぐ行けば大丈夫ですよ」
「そうか、ありがとう」
 鈴木は携帯を閉じた。
「お礼にお祓いをしてあげよう」
「いえいえ、そんな」
「遠慮するな」
 鈴木は皮鞄から数珠を取り出して手首と手のひらに絡ませる。そして桜井に向かってムニャムニャ唱えた。
 そうして鈴木はわざとらしく顔をしかめた。
「むむぅ、これは妖怪の気配だ。茶髪の君、最近おばけや妖怪の類に出会わなかったかね」
 桜井は友人との約束をきっちり覚えていたので、はっきりと答えた。
「いいえ」
「そうか! 妙なことを言って悪かったな」
 では、と言って鈴木は桜井に背を向けた。先ほど道案内をしたことが嘘のように、中学校とは別の方向へ、桜井が通って来た道の方へ歩き出していた。
「鈴木さん、中学校はそちらではありませんよ!」
「急用ができたのさ」
 桜井は釈然としないまま、家に帰った。

 次の朝。今日も学校か、と気だるく思いながら桜井は家族と一緒に朝食を食べていた。するとテレビをつけながら新聞を読んでいた父親が、素っ頓狂な声をあげた。
「おい、大変だ! 黒沢さん家が新聞に出てるぞ!」
「あらまあ」
 母親も声をあげた。
「テレビでも出てるわよ、あなた!」
 桜井はお皿からテレビに目を移した。そこには、昨日訪れた日本家屋の画像がBeforeの枠に、そして黒こげた更地になった画像がAfterの枠におさまっていた。テロップには『衝撃! 市内で民家、ガス爆発!』と書いてある。
『臨時ニュースを申しあげます。今朝午前四時ごろ、牧代市内の住宅地で、原因不明のガス爆発が起こった模様です。しかし証言の中には未だ爆発音を聞いたものは無く、牧代市警は別の事件の可能性があるとして、調査を進めています』
 とんでもないことになっていた。
 桜井は朝食もそこそこに居間を飛びだして玄関にある電話を手に取った。そして黒沢の家に電話をかける。新聞やテレビに出た家は、黒沢の家では無いかもしれない。しかし呼び出し音はならず、不通であると女性の声が告げるばかりだった。
 ちょうどその時、玄関のチャイムがなった。同時に、ばうばうばう! と年老いた飼い犬が狂ったように吠えていた。
「ちょっと出てくれる〜?」
 居間の方から母親の声がする。
 桜井はそれとは関係なく、玄関にむかった。玄関の曇窓越しの影が、友人の背格好に似ていたからだった。
 ばうばうばう!
 飼い犬が吠えている。
 桜井はがらりと戸をあけた。そこには人では無く、真っ黒な猫が座っていた。黒沢の家にいた、二本の尾をもつ黒猫である。しかし昨日のような面影はどこにもない。毛がぼさぼさで、歯や爪がするどくて、二つの尾がゆらゆらゆれて……怖い。そんなことを桜井が考えていると、猫が音もなく桜井にとびかかった。
「おっとぉ」
 しかし寸でのところで木に棒に叩かれ、桜井の足元に落ちる。そこに更に木の棒の追いうちがかかった。猫はやがて動かなくなった。木の棒を持って叩いたのは鈴木だった。鈴木はそれから、ムニャムニャ唱え、最後に「喝っ!」と叫んだ。猫は恨めしそうに「うにゃあ」と叫んで塵になり消えてしまった。
ばうばうばう!
「やあ、危なかったね」
 声に顔を挙げると鈴木の姿がある。
「君のおかげで、この街に巣くっていた妖怪をたくさん退治できた。お礼を言うよ」
 飼い犬はまだ吠え続けている。
「は?」
「昨日のあれは、言いたくても言えなかったんだろ? 妖怪にあったか、って言われて、はっきり『いいえ』なんて答える人間なんていないしね。まあ、これで一件落着だ。君はもう安全だから、安心して学校に行くといい。それじゃ」
「ちょっと待ってよ!」
 ばうばうばう!
「なんだい? 妖怪のことなら、興味本位で聞くなら感心しないな。普通の人は知らなくていいことだし」
「黒沢は僕の友達なんだよ!」
「そうか、それはご愁傷様」
「なんだよ、それ!」
「妖怪に言いくるめられた人間は、こちらの説得には耳を貸さないものでね」
「いいおばけだったかも知れないだろ!」
「はっはっは!」
 鈴木は無表情に笑った。
「いい妖怪なんていないよ、青年。じゃあな!」
 鈴木はそう言って立ち去って行った。鈴木がいなくなってようやく、飼い犬は吠えるのを止めた。

 桜井はその後、全速力で学校に行った。しかし友人は、二人までしかそろわなかった。




───────────────────

題名は記事の『題名』にございます。

tonowiさん……ぜんぜんサイトを更新しませんね……。地震の時も音沙汰無かったし。不安だなあ。

長編書きたいなあ。
Page: [1] [2]
 
BBコード
テキストエリアで適用範囲をドラッグし以下のボタンを押します。
装飾と整形

フォント
この文字はフォントのサンプルです
リスト
標準  番号付  題名付

スマイリー
表とグラフ
データ入力
ファイルから入力(txt/csv)
要素の方向:
横軸の数値:
横軸の値 例:2009,2010,2011,2012
直接入力
凡例
カンマ区切り数値 例:1,2,3
横軸の値 例:2009,2010,2011,2012
オプション
出力内容
グラフタイプ
区切り文字
縦軸の単位例:円
横軸の単位例:年度
マーカーサイズ
表示サイズ
確認と適用
Status表示エリア
プレビュー
絵文字
連続入力
外部画像
  • 画像URLを入力し確認ボタンをクリックします。
  • URL末尾は jpg/gif/png のいずれかです。
確認ボタンを押すとここに表示されます。
Googleマップの埋め込み

  • 説明
  • 説明
確認ボタンを押すとここに表示されます。
HELP
題名 スレッドをトップへソート
名前
E-Mail
URL
添付FILE 文章合計600Kbyteまで
パスワード (記事メンテ時に使用)
コメント

※必須
画像認証
     (画像の数字を入力)

   クッキー保存